「ビッグ・ウェンズデー」見てサーファーに憧れた日々

私が大学生の頃は「女にモテル」という理由でサーフィンをするように勧められた。まず第一に映画を見なければならないジョン・ミリアス監督の「ビッグ・ウェンズデー」だ。これを見て、サーファーになる誓いを立て、次に足となる「車」を手に入れるために死ぬようなバイトをし、天神で一年中ココナッツ臭を放つロン毛のお兄さんからサーフボードを買う。 続きを読む

毎月29日は「ニク」の日知ってます?

今日はすでに30日、昨日書けば良かったと後悔しています。毎月29日は「ニク」の日です、別に意図があるわけではなく近所のスーパーで毎月「ニク」の日をやっていて、なるほどと思ったので書いてみました。私は小さなころは山間部で育ちましたので、肉も魚も専門店がなく日常的に食卓で牛や豚などの食肉を見ることはありませんでした。 続きを読む

「ちょっと、うざい部長」とコワイ話 その②

部長と四国へ出張に出たときです。相変わらずナビを信じない部長は「間違った道案内」を繰り返しておりました。私がナビが正しのではないかと話をすると「お前たちは若いけん、ようわかっとらんばってんが、コンピュータとかナビゲーターとかほんなこつは間違ごうとると。こげなもんに頼とったら騙さるる」部長が言いたいのは『コンピューターやナビは間違いが多く、信じると騙される』ということらしい、私はいっしょに出張に出るたびに、部長に騙されていたのですが。 続きを読む

「ちょっと、うざい部長」とコワイ話 その①

もう20年以上前になります。全国をまわる営業の仕事をしていたことがあります、不動産の関係だったので、福岡から車で現地まで行ってました。日本海側をまわる時は、富山あたりまで行って折り返してくる感じです。一回の出張で1,000km以上は走っていました。会社のスタッフは全員で1000名以上と、まあまあ中規模だったのですが、私の部署は部長と私のふたりだけで他にスタッフはいませんでした。 続きを読む

フランケンシュタインじゃないけど「傷だらけ」

鶴田浩二さんをご存知ですか、私の中ではシブい男優さん第2位の俳優さんなのですが、ちなみに第1は高倉健さん、第3位は池辺良さんです。三人とも同じ時期に任侠映画に出演されていました。鶴田さんのヒット曲に「傷だらけの人生」というのがあります。この曲が流行った当時、母親からよく言われました「あんたが女の子やったら、えらいこつやったね。歌やなけど傷ばっかりやもんね」。 続きを読む

みなさんはトライアスロンを知っていますか?

スポーツネタが続きますがご容赦ください。思い出したときに書いておかないと、次に思い出すかどうか自信がないのです。トライアスロンという比較的新しいスポーツが日本で浸透し始めたのは私が社会人になってからです。北部九州は取り込みが早く、既にメジャーな大会がいくつも開催されていました。 続きを読む

泳ぐということは単純に見えて、そうでもない

私がプールというものを見たのは小学校5年生のときでした。それまで、「泳ぐ」という行為は川で行うものだと思っていました。夏が近づくと、各地区の父兄がその地区の川で比較的安全そうなところを土嚢で堰き止めて深い部分を作り、そこで子供らを泳がせたのです。ですから、「泳ぐ」と言っても主流は犬かきであり、私たちにとっての「泳ぎ」は犬かきだったのです。 続きを読む

走るということは単純に見えて、そうじゃない

見ましたか?世界リレー選手権、バハマの首都ナッソーで422日~23日の2日間のわたり開催されていました。各リレー種目の上位8ヵ国には、世界陸上2017ロンドン大会への出場権が与えられるそうです。 続きを読む

初めて沖縄に行ったのは海洋博のときでした

毎年恒例となった沖縄映画祭も先日閉幕し、沖縄は梅雨に入っていきます。私が初めて沖縄に行ったのは1975年の「沖縄国際海洋博」の年でした。当然、海洋博を見に行ったのですが、まったく海洋博の記憶はありません、会場の入り口近くで機械仕掛けのハトが実演販売されていたのを見た記憶がある程度です。 続きを読む

アボリジニみたいな祖父が大好きでした そのⅠ

私の祖父の家は県の文化財指定を受けられるくらい古い建物でした。もちろん指定など祖父は断っていました「自分の家ば、自分の好きにせんでどげんするとか」と笑っていました。祖父が住んでいたのは、たった3軒しか人家のない地区で、夜になると周辺は真っ暗になるようなところでした。私が住んでいた村からは歩いて4kmほどかかりました。 続きを読む