「日本一危険な喫茶店」で思い出すバイト生活

「日本一危険な喫茶店」として新宿の風鈴会館1階の「パリジェンヌ」が話題に上ります。2002年に銃撃事件の舞台となったのは有名な話ですが、既に15年も経っており現在では「日本一」的な臭いは残っていません。当時は反社会的な方たちが周辺で活動されており、このお店でも盛んに業務打ち合わせが行われていたようです、今ではファミレス的なお店として幅広い客層に支持されているようです。

”危険な店”と聞いて思い出すのが大学生の頃アルバイトをしていた飲み屋さんです。場所は博多中州のど真ん中でした。業態的には「ナイト」と呼ばれる深夜帯から早朝にかけて営業するお店で、スナックやキャバレーのお姉さんがお店終わりにお客さんと一緒に飲みに来る、飲酒中心の場所でした。スタッフは男性ばかり15~16名はいたと思います。

大学生のアルバイトで若かったので、お客さんやスタッフにも可愛がってもらい、なかなか働きやすい職場でした。昼は学校があるので、バイト先としても理想的でした。1年近くお世話になったと思います。しかし、いいことばかりではありませんでした。

夏、社員旅行ということで長崎の壱岐に連れていってもらいました。そのとき、先輩方が「オヤジさんが来る」と話をしていました。お店には店長が常駐していて、たまにオーナーが様子を見に来ていました。お二方とも温厚な柔らかい人たちでした。どうもオーナーとは別に、経営に関わる人がいて、その人が来るようでした。

そのオヤジさんは6~7人くらいの取り巻きと来られて、夜は楽しく宴会で盛り上がりました。翌日、海岸でみなで遊ぶとき、オヤジさん+みなさんを見たら、体中にいろんな絵が書いてありました。その方面の方たちだったようです。周辺の海水浴客は潮が引くようにいなくなり、店の従業員と彼らだけになり、みなで楽しくビーチバレーをしました。

知らぬこととは言え、経営にはその筋の方が関係していたのです。その後、私のいないときに2度ほどお店で「抗争」がありました。対立する組織の人間が飲みに来て、それを店舗の人間が連絡して、刃物を持った方々が襲撃されたようです。

抗争の翌日アルバイトに行くと、店内の椅子やテーブルが新しくキレイになっていたのを覚えています。そんな危険な店だったのですが、スタッフも店長もいい方でその方面の方たちの問題さえなければ楽しい職場でした。

お客さんでスイミング教室を経営されている女性がいました。その方は切り込み事件の時にカラオケを最後まで歌い続けて、鉄の心臓を持つ女と噂された人です。その人から「あんまり学生向きのバイト先じゃないね」と言われ、自分の教室にコーチで来るよう誘われました。私としては時間帯さえ合えば問題なかったので、店を止めて水泳のコーチになりました。これが私の「危ない店」でのお話です。

新宿鮫なんか読んでると確かに風鈴会館周辺には独特の世界があって、さも危ない感じですが、今ではそんな世界はどこにもありません。そうした世界が存在し得たこと自体が、その時代を象徴しているのではないかと思います。

 

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