親父の仕事は「出し方さん」でした。

まだ小学校に上がる前です。家も狭く、母は土間の炊事場で薪を使って炊事をしていました。親父は、たまにしか帰って来れず、戻ったかと思うと母と言い争いをして酒代を持って出ていくというようなことが、何度かあったような記憶があります。当時、親父は今の林野庁の仕事で伐採業務をやっていました。要は「キコリ」です。地元では「出し方さん」と呼ばれていました。山で切り倒した木々を市場に出していくので「出し方さん」だと思っていました、どうなのかはわかりません。

「出し方さん」が行政の下請けだったのか、民間会社の雇いだったのか、それも良くわかりません。ただ、木を切る人たちは移動手段に大型バイクを使い、一度伐採に山に入ると数日は戻ってきませんでした。実際にはそれほどひどいことはなかったのでようが、幼少期の私にとっては「荒くれ者」としてのイメージしかありません。

仕事が村の近くで行われるときは、現場に兄と連れていってもらうこともありました。山側で切り倒した杉は、その場で水分を落とした後に枝を落とし、長さを整えると臨時の貯木場に集め、そこからワイヤーでトラックの入って来れる下の地域まで降ろされます。ケーブルの長さは数百メートルあり、その直径も大きなものでした。木を出す最初の段階では、このケーブルを山から下の貯木場まで引いていかなければなりません、この作業が大変危険で途中でケーブが跳ねて大怪我をした人もいたそうです。

基本的に全体に危険が付きまとう作業なので、出し方さんはみな山賊のような風貌していました。北部九州は旧産炭地域なので産炭地区での厳しい労働の話はよく聞きますが、こうした林野関連の仕事の話は聞く機会は少ないと思います。最近では、山を維持するために若い人達を山間部に移住させるという話を聞きますが、近代化された今でも杉山を維持する仕事の厳しさは変わらないと思います。

杉を植林した国有林は760万ヘクタール、国土面積の2割、森林面積の3割にもなります。伐採から製材に至るまでの労力と費用の増大から、手つかずになっている山もたくさんあるようです。かつては田舎の金持ち=山持ちだったのですが、今では宝の持ち腐れになっています。親父は脳血栓で半身不随となり、かつての「出し方」さんの面影はありませんが、私の耳には遠くから帰って来る親父のバイクの音が今も残っています。

 

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