「親不幸通り」は、今どうなってますか?

福岡市で3億8000万円が強奪される事件が起きました。場所は福岡市の中心地区「天神」です。福岡の街というのは、コンパクトにできており、博報堂の生活研究所が「自転車距離の街」と呼んだくらい街機能としては効率の良いところです。そんな街ですから、犯人の足取りはすぐにわかると思ったのですが、そうではないようですね。

古い話ですが、有名な府中の「3億円事件」では犯人は北に逃げた為に発見できなかったという説があります。方向的に北というのは、(隠す)作用が働くらしいです。では、福岡の強奪犯も北に逃げたのではないでしょうか?天神地区の北…海側です。

私の記憶の中には天神から北へ向かうと「親不幸通り」へ入っていくイメージがあります。1970年代に地元の大手予備校「英数学館」と「水城学園」が通りに沿ってあったため、多くの予備校生が通う地区として「親不孝」の名前が付いたとされています。

強盗とは関係ないのですが、親不孝通りはだんだんと飲酒業態の店舗が増えて、暴力や薬が問題となりその名称を使うことすら控えるように、数年前に福岡県警から福岡市に対して申し入れがあったそうです。

私は1980年代をこの親不孝地区で過ごしました。このエリアには長浜公園という予備校生の溜まり場がありました。公園は英数学館の近くにあって、水城学園の生徒がやって来ると縄張りをめぐって抗争が起きることがしばしばありました「おまえ、水城の人間やろ?ここば、どこち思うとるとや」「公園たい、きさんに文句言われるこつはなか」まあこんな感じです、本当に暴力行為に及ぶことはほとんどなく、シャレのようなものだったんですが、サバゲ―的な緊張感がありました。

また、水城学園は新設の予備校でしたので食堂などの設備が整っていました。この食堂を目当てに英数学館の生徒が潜入し、水城の生徒に見つかり「おまえ、英数の人間やろ?ここば、どこち思うとるとや」「食堂たい、きさんに文句言われるこつはなか」と、ここでも公園と同じように争っていました。

予備校生という不安定なポジションの人間がひとつのエリアに集まって、独自の世界が形成されていました。昼は予備校生の街、そして夜は地元大学生や若者が集って安酒を飲む街でした。現在のようなリトル中州的な重い感じではありませんでした。

当時の「親不孝通り」は決してネガティブな感覚ではなかったのですが、予備校の閉鎖や飲み屋さんの増加に伴って治安が悪化すると名称を「親富幸」に改名したと聞いています。どうも、方向性が違っているというか、街の主役が活動する人間から受け入れる箱に代わってしまったようです。

そして今年、地元の方々の熱い要望もあって「親不孝通り」の名称が復活するそうです。私的には、この呼称はずっと使ってもらいたいと思っています。当然、主役の「親不孝者」にたくさん集まってもらって。…もしかしたら、3億8000万円のお金はこの街の復興資金に誰かが奪ったのかもしれません、長浜公園あたりを探してみてください。

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