初めて沖縄に行ったのは海洋博のときでした

毎年恒例となった沖縄映画祭も先日閉幕し、沖縄は梅雨に入っていきます。私が初めて沖縄に行ったのは1975年の「沖縄国際海洋博」の年でした。当然、海洋博を見に行ったのですが、まったく海洋博の記憶はありません、会場の入り口近くで機械仕掛けのハトが実演販売されていたのを見た記憶がある程度です。

時期も年末で、しかも中学生のひとり旅でした。どうしてそうなったのか経緯は覚えていませんが、テレビを見ながら母に「沖縄に行っも良か?」と聞いて「うん」と言われて、そのままチケットを手配して唐突に旅に出たような気がします。後で聞いたのですが、母は私の話は聞いておらず、とりあえず返事をしたそうです。

当時は博多港からフェリーが出ていました。沖縄までは随分と時間がかかりました、フェリーではカレーに生卵が乗っているのと、船内の浴槽に入ると浴槽内のお湯が行ったり来たりするのを初めて見ました。他愛もないことを見聞きしながらの那覇港までの船旅でした。

12月も末だったのですが、暖かかったのにはびっくりしました。それから、走っている車が「走る廃墟状態」で、とにかくサビがすごい状態でした、そうした車に乗っているのはアメリカの兵隊さんが多かったように思います。

どのように沖縄を回ったのかは覚えていませんが、公開して数年しか経っていなかった「玉泉洞」(鍾乳洞)や海洋博会場、コザ市(旧沖縄市)なんかを回ったと思います。

観光名所の内容より、宿泊した民宿のおばさんや、食事の方が思い出されます。2泊したのですが、最初に泊まった民宿では、宿のお婆さんが「孫のようだ」といって親切で自室に泊めてくれました。そのお婆さんからいろいろと話を聞いたのですが、方言が強く詳細は理解できませんでした。

お婆さんの話によると、沖縄本島には戦前、機関車が走っていて線路があったとのことでした。戦前の話は異国の様を聞くようで興味深いものがありました。また、「何が明日食べたいか?」と聞かれ「そばを食べたい」と言うと、翌日作ってくれました。その「そば」は「ソーキそば」で、私たちが常食とする黒っぽい「そば」はないのだと教わりました。

沖縄が日本に返還されたのは1972年です。それから3年しか経っていない沖縄を私は見ました。道路を走る車はまだ右側走行でしたし、コザ市は米兵ばかりでリトルアメリカのようでした。

1975年に初めて沖縄を訪問してから、旅行や出張で何度か再訪する機会がありました。その都度、大きく変化していく沖縄を見てきました。しかし、返還から40年を超える月日が経過しても、依然として米軍基地は存在しています。中国や北朝鮮が脅威として存在する限り、基地問題は解決しそうにありません。

嬉しそうに鉄道の話をしてくれてお婆さんに申し訳なく思います。私は基地を抱えた沖縄住民の方たちに直接的に何かをすることはできませんが、米軍基地がある環境で生活する人たちがいることだけは、忘てはならないと思います。

 

 

 

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