みなさんはトライアスロンを知っていますか?

スポーツネタが続きますがご容赦ください。思い出したときに書いておかないと、次に思い出すかどうか自信がないのです。トライアスロンという比較的新しいスポーツが日本で浸透し始めたのは私が社会人になってからです。北部九州は取り込みが早く、既にメジャーな大会がいくつも開催されていました。

私がトリアスロンを始めたきっかけは、トライアスロン用の自転車がカッコイイと話をしていたとき職場の先輩から「おう、やれば良かたい。俺がいい自転車屋ば紹介してやるけん」と半ば強制で自転車屋さん(どう見てもバイク屋)を紹介され、薦めれれるままにpanasonicのロードレーサーを買いました。(買わされたと言った方が正解でしょう)

その後、レースに出るようになって専門の整備スタッフに見てもらっとき「ご自分で組み立てられたのですか、ブレーキのラインとかギアとか、やり直した方がいいかもしれません」と言われ、30万円を超える出費を恨めしく思ったのを覚えています。

初めて参加したのは天草のレースで日本トライアスロン協会認定の公式レースでした。当時はレースに参加する選手の大半はプロの人たちで、一般参加のアマチュアと混合でレースを行っていました。レース前夜は地元の体育館で選手歓迎のイベントが開催され、当時の会長だった長嶋茂雄さんも参加されていました。

レース当日、かなりの強風で海は荒れていました。コース確認のために先行で運営委員が泳いでコンディションを確認します、海から上がってマイクを手にした委員は「今日は強風でかなりの波が立っております。危険を感じた方は勇気あるリタイアをお願いします」とアナウンス、いやいや、危ないでしょ。競技自体が導入後間もなかったこともあり、海上の監視は地元サーファーやボランティアが数メーターおきに行っており、万全との説明も付加されました。

いよいよ開始です。数百名の選手が海になだれ込んでいきます、私も初戦だったのでコース中央を目指して突っ込みました。「泳ぐことができません‼」選手間ではプロレスと呼ばれていたようですが、泳ぎはじめの浅瀬は選手が団子状態で泳ぐことができないのです。顔を蹴られ、背中を打たれ、少し沖に出たときにはケンカで殴られたような悲惨な状態になっていました。

これ以上の被害を防ぐためコースの大外を回ることにしました。人はいないのですが波は高いは、方向はわからないはで、おそらく10km以上ロスしたと思います。なんとか折り返したのですが、ゴール手前100mほどのところで時間切れリタイアになり、船に引き上げられました。

結局、このとき無理して買ったpanasonic号に乗ることはできなったのです。これが私のトライアスロンデビュー戦の思い出です。果たして私はバイク屋に売りつけられた自転車に乗り、完走を果たす時が来るのでしょうか‥‥怒涛の国東半島レース編に続く。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA