茶の間とテレビ

最近、我が家では家族全員でテレビを見るようなことはなくなった、食事でさえ全員でするということは随分と稀なことになった。子供も成人し、家族がそれぞれに独立したためかもしれないし、各人がそれぞれ一台ずつモニターを持つようになったせいかもしれない。

私が小さかった頃はテレビなしに生きていくことなど考えられなかった、69年にアポロが月面に着陸した時、72年浅間山荘で連合赤軍が人質を取って立て籠った時、いつも学校から帰ってテレビに噛り付いていた。しかも、私の記憶の中の重大ニュースはすべてシロクロで色がついていない。

情報を伝える媒体が変化し、情報が溢れかえる時代になり人々が同じ時間帯に同じ情報を見るなどということはなくなってしまった。情報は手の中のスマホからいつでも引き出せるのである、かつて電話は「通話」の為のツールであったが、現在では「通信」のためのツールとなった。歩きながらでも必要な情報が取得できるのである。

私が初めてカラーテレビを見たのは小学校5年生くらいだったと思う、カラーテレビが開発されてから随分と時間は経過していた、開発された当初のカラーテレビの価格は30万円、当時の大卒の初任給が13,100円で平均給与が21,000円だった。開発当初は高すぎて買えないのがあたりまえだった、映画「三丁目の夕日」に出て来る堤真一の経営する自動車修理工場は非常に儲かっていたことになる。(カラーテレビを買っていたから)

シロクロからカラーへの移行期には画面の右肩に『カラー』の表示がハトのマークと一緒に出る番組があった、これはシロクロ放送が多い中、カラー放送用に製作された番組であることを表示しており、カラーテレビであれば色付きの放送が見ることが出来るという表示であった。私はこの表示をシロクロテレビがカラー放送に変わる魔法のマークだと信じていた、マークが表示されるたびに「色付き」になるのをテレビの前で待ったものである。

当然、シロクロがカラーに変わる筈もなく「なぜなのだろう?」という疑問だけが残った私的にはテレビの故障で、本来ならばカラーに変わるべきところがダメなのだと結論した。しかし、親には言ってはいけないことだと思いひたすら画面右肩のマークを見つつ、カラーに画面が変わることを祈った。

家族全員がひとつの部屋に集まり、ひとつの番組をみて煎餅でもかじるような時代は、もう終わってしまったのかもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA