上京物語2 「冷たい夏、熱い夏」郷土を語る人たち

地方から出てきて最初に堪えるのが通勤電車です。初めて通勤時間に電車に乗ったときには「死ぬ」かと思いました。地方で電車が混むなどといっ ても、まあそこそこです。しかし、東京のラッシュ時の満員電車は弱者を殺すだけの圧力があると思います、今でも時々、ギュウギュウ詰めの状態のときに小さな声で「助けて」と聞こえる時があります、次の駅で『急病人の為、遅延…』の駅内放送。

仕事で関東に来て初期の頃、パソコン・ソフト制作の会社に転職した同じ高校出身の友人とよく遊んでいました。仕事終わりに飲みに行くことも多く、ふたりで愚痴をこぼすときには決まって「こげん電車の混むこつはなかった」「そげんたい、西鉄電車は大牟田線が1本だけやったばってんがこげん混むこつはなかった」「そげんたい」「そげんたい」と、通勤電車が混むことに悪態をついていました。

そんなある日、また二人で飲んで帰る途中に山手線で大声で話をしていました「だいたい、関東の人間は冷たか」「そげんたい」「ばってんが、ほとんどが地方から来とるとやなかや?」「あぁん、そしたら俺たちもあげんなるとや」かなり酔っていましたし、声も迷惑なくらい大きかったと思います。その時、スーツにネクタイの男の人が話しかけてきました。

「福岡の方ですか?」私と友人は、大声で方言をしゃべっていたことに気が付き、一気に酔いが覚めるようでした。「はぁ」と返事をすると「私も東区の出身ですと。」と方言で話しかけてきます。どうやら、私たちの話を聞いていて同郷だとわかって話しかけてきたようでした。話では、お兄さんが長いこと東京で働いていて、最近、癌が発症して入院したため看病のために数週間、こちらに来ているのだと説明されました。

私たちは数駅間、とりとめのない地方出身者の鉄板ネタの愚痴を話し合い「やっぱ福岡がよかね」「そげんですたい」と盛り上がりました。その看病で来られた人は私たちより先に電車を降りました。彼はそのとき「なんも持っとらんとですけど、これば」と言って文庫本を一冊渡して、手を振りながら降りていきました。

いただいた本は 吉村昭の「冷たい夏、熱い夏」でした。この本は、「戦艦武蔵」「陸奥爆沈」「関東大震災」などの歴史小説で有名な吉村氏の作品には珍しく、親族の癌を描いた作品です。福岡から癌に侵された兄の看病、おそらくは最後の見取りだったのかと思います、そのために上京してきて、どう対応してよいかわからずにどこかの書店で買ったのでしょう。そんな夜に酔って方言を話す若い連中を見て・・どうだったのでしょう。いい本でした。あの時、会ってなければ読むこともなかったと思います、あれから私の妻も癌を患い、同郷の先輩から良い本をもらっていて良かったと思いました。

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