「FNS27時間テレビ」31年目に総合司会をビートたけし

ビートたけしという名前を聞くようになったのは、もう30年以上も前になると思います。「ツービート」というコンビでテレビ出演していて、肩が凝るのかいつも頭 を振って「コマネチ!」を繰り返していました。当時から漫才だけではなく社会的な問題に対するコメントはキレがあったように思います。同時に、何をするかわからない危うさを感じたことも覚えています。

1986年(昭和61年)12月9日、ビートたけしは自分の軍団12名といっしょに写真週刊誌「フライデー」(講談社)の編集部を襲撃しました。「フライデー事件」「ビートたけし事件」「たけし襲撃事件」などと呼ばれています。翌年1987年6月10日、ビートたけしに懲役6か月、執行猶予2年の判決が下されます。この事件の原因は、当時ビートたけしと交際していたとされる専門学校生が「フライデー」の契約記者にたけしとの関係を聞かれ、テープレコーダーを顔につきつけられたり、手を引っ張られるなどして、全治2週間のケガを負わされたことが発端となっています。

今、思い返すとびっくりします。専門学校の生徒と付き合っていたこと、弟子を引き連れて出版社を襲撃した事。過ぎ去ってみれば、「世界の北野」も昔はヤンチャだったのだなと笑って話せる?のでしょうか。この判決が降りた1987年、現在のFNS27時間テレビの前身となる「FNSの日」が初めて行われました。両者には縁があったようです。

ビートたけしは1983年に大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」に出演、デヴィッド・ボウイと共演しています。大島監督は「松竹のヌーヴェルバーグ」と呼ばれエッジの効いた作品を作りましたが2013年に亡くなりました。デヴィッド・ボウイも昨年なくなりましたが、説明の必要もない世界的なロッカーです。若い頃にこうした人たちと親交を結んだビートたけしには特別の世界観が育っていたのかも知れません、それをコントロールできずに出版社の襲撃やバイク事故を招いたように思えます。

今ではテレビでMCをやる姿は芸能界のカリスマです。ビートたけしが長時間特別番組の総合司会をやることは珍しいと思いますが、そういう時代になったのだと思います。過激さや危うさは無くなりましたが、そこに居る存在感には大きなものがあります。爆発的な面白さはありませんが、なんとも緩い安心感を感じます。夏、暑い時期の長丁場です、体調を崩さないように頑張ってください。

 

 

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