ブラタモリのタモリさん、どういう人か知っていますか?

今週のブラタモリ(NHK 土曜 午後7:30~8:15)はタモリさんがいよいよ名古屋に乗り込みます。少し年配の方なら誰でもご存知のことですが1980年代にタモリさんがテレビ、ラジオで名古屋のことを「東京都と大阪に挟まれてコンプレックスがある」「エビフライをエビフリャーと呼んでよく食べる」「名古屋はみゃー、みゃーと響きが汚い」などと揶揄し、名古屋たたきの元祖とも言われています。

長年虐げられてきたとの思いを持っているのが名古屋の皆さんではないでしょうか、昨年の行きたくない都市のアンケートでは1.4ポイントで1位になるなど、まだ負の要素が払拭されていません、その元凶というか象徴的なタモリさんが名古屋へ国営放送の番組でやってくるのです。っていうか、敵対ムードとかではなくいい感じで名古屋ご当地は盛り上がっているようです。

でも若い方たちはどのくらいタモリさんを知っているのでしょうか?「笑っていいとも」「ミュージックステーション」のMCのタモリさんしかご存知ないのではないでしょうか。私は福岡の出身の為、タモリさんの伝説や勤めていた施設などもよく見聞きしました、タモリさんは早稲田大学に3年生まで在籍して福岡に戻り、朝日生命で3年ほど保険の営業をされた後、旅行代理店に勤務、系列のボーリング場の支配人を務めたりしました。

ボーリング場は大分県日田市にある「アストロボール」というボーリング場で、私も小学生の頃通いました。旅行代理店勤務の後は福岡市内のジャズ喫茶のマスターをしていたという噂もあります。店舗は「コンボ」(2009年閉店)という老舗のジャズ喫茶なのですが、マスターだったのかお客だったのかはわかりません、とにかく地元ではいろんな話が残っています。

そうそう、昔のタモリさんがどういう人だったかを話しておかなくてはなりません、私が初めてテレビで見た時には「4か国語麻雀」ということででたらめな韓国語、中国語などを使ったギャグをやっているところでした。それから「イグアナ」だとか「神父」だとか、個性的なお笑いで頭角を現していきます。もともとは、福岡でジャズの渡辺貞夫さんのコンサートがあった夜に、スタッフ参加していた山下洋輔さんがホテルでドンチャン騒ぎする場にタモリさんが参加、その後親交を深めて、山下さんが通っていた新宿ゴールデン街の「ジャックと豆の木」(常連客/坂田明、長谷川法世、南伸坊、奥成達、高信太朗、長谷邦夫etc.. )の常連が「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」を結成、カンパをして1976年に再上京を果たすことになります。この素人として芸を披露したときに筒井康隆や唐十郎もいて、その才能に舌を巻いたと言われています。

「呼ぶ会」で素人として芸を披露しているときに惚れ込まれたのが漫画家の赤塚不二夫さん、有名な話ですが赤塚さんはタモリさんを福岡に返したくないために、自身の4LDKのマンションやベンツを自由に使わせます。赤塚さんが仕事場から自宅に服を取りに帰ると、その服をタモリさんが着ていたという笑い話も残っています。そしてこの年からニッポン放送の「オールナイトニッポン」に出演、テレビでは終盤にかかった「うわさのチャンネル」などにも出演し露出度を高めていきます。

もともとタモリさんは業界人に好かれる「お笑い」芸を持った人だったのです。みなさんご存知の「笑っていいとも」の開始が1982年ですが、同じ年に「タモリ倶楽部」も放送が開始されています。これはタモリさんが所属した芸能プロダクション「田辺エージェンシー」の田辺社長が、タモリさんのシュールな笑いが無くなることを懸念して、どうしてもということで始まった番組です。番組は今でも続いており”空耳アワー”は一度は聞いたことがあるのではないでしょうか、タモリさんはMCではなく多才なお笑いタレントであったことを伝えたかったのですが…まあ、いいでしょう。ブラタモリ、楽しみです。

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