「ママ、もしもこの世の中にインターネットがなかったらどうなると思う?」とツィ―トする6歳児。

ママは、「そういう世界生きたことあるよ」と返すのですが、ツイッター上で話題です。そう既に小さな子供さんだとインターネットのない世界など見たことがないんですよね、テレビが白黒だったり、文字専用にタイプライターがあったり、そんな時代はまったくの別世界なんです。インターネットが今だになかったら、それはそれで別に大きな問題はなかったと思います、マスコミが大きな力を持っていて個人の情報がご近所の枠を超えて広がっていくことはなかったと思います。しかし、ネットの存在があって以降の「無くなる」は考えられません、既にその価値を知ってしまった以上、後には戻れないのです。

この6歳のお子さんも「自分の声」がどれだけ遠くまで伝わっているのか自覚はないのかも知れませんが、その投げかけは全国的に拡散されているのです。私たちはこの子のお母さんと同じようにネットの無い世界を知っています。それは、つまらない世界でも不自由な世界でもありませんでした。しかし、ネットを使うことを覚え、その便利さを味わってしまうとネットの無い世界は別世界となるのかもしれません。

江戸の昔、芭蕉が徒歩で日本国中を歩いた時代、その地域々の情報は己が目で見、耳で聞かなくては知りえないものでした。歩き、時間をかけ情報を収集して、より深いものの考え方ができるようになっていったのです。「時間」「距離」これらを短縮するために技術的な革新が繰り返されてきた、と言っても過言ではないと思います。しかし、ごく最近までそれは”全体の利益”を追求したものでした。例えば「新幹線」オリンピックを機に日本に住むすべての人に「時間」「距離」の短縮をもたらしました。

これまでの技術革新が”全体の利益”であったの対してインターネットの普及は、”全体を構成する1つ”の個人にも効用をもたらすようになったのです。これまでは、広く情報を知らしめるためには大きな費用が必要で、個人の考えを外国広めるなんてことは、あり得ないことでした。しかし、今ではさっき食べたラーメンの話題を日本中、いや世界に向けて流すことができるのです。

そうですね、この6歳の子が我が子だったらこう答えると思います「あなたが、その質問をすることもなかったでしょう」と…。

 

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