ニートだから不適合ではなくてギークという小社会を生んだことで社会参加してるんじゃないかな?ギークハウス。

本日放送の「ザ・ノンフィクション」(フジテレビ系/毎週日曜14:00~14:55)で”ギークハウス”が紹介されていました。働くことが難しい、働くことが嫌だからそんな仲間が集まって集団生活を送る。それぞれが提供できるもの、スペース、お金、食事を作ること、を持ち合って生活していく状況が紹介されていました。プロジェクトを主催するphaさんは京大を卒業後、一般の会社に馴染まずニートとしてシェアハウスで暮らしているとのこと。

私、この人たちは「どうにもならない人たち」ではなくて「そうあることを肯定する人たち」なのだと思うのです。例えば、朝ぎゅうぎゅう詰めの満員電車で通勤したいと思いますか、いいえ、行きたくないのが当たり前です。でも、仕事があるから行かなくてはならない。価値観は社会的に枠にはまる方向を目指します、しかしギークに集う人たちは満員電車には乗らないのです、聞けば答えるでしょう「無理だから」そうなんです、そこに価値観がないのです。無理してまで行くのなら行きたくはない。

あるプログラマーの方は言ってました「怒られるのが嫌いなのです。怒られると、その怒った人が嫌いになって、結局、人間関係が成り立たなくて」やっぱり満員電車に乗らない人なのです。おかしなことは言われていません、誰だって怒る人に好意はもたないものです。でも、一般的な人はその感情を押さえて、そんな人もいることを自分の世界と認めて生きていくのです。

実に面白いのは、このギークハウスメンバーは”先端的”な存在に見えることです。今はちょっと変わって見えても、もう数年すれば、こうした生き方も選択肢のひとつになっているのではないでしょうか。今日の放送で、結婚した仲間を祝いにきたメンバーが「ソーシャル」と独りごちます、「俺たちも社会の一片」と思われたのかもしれません。

人間は社会的な生き物です、集うことによって新しい価値観やストーリーを発信していくのではないでしょうか、私にはギークハウスは現代のトキワ荘のように思えるのです。phaさんはニートと呼ばれていますが、本やブログで情報発信を行い、その他にも仕事をやっている訳ですからニートではなくて、別のカテゴリーで呼ばれるべきだと思います。勿論、他のシェアメンバーの方もです。

 

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