旧産炭地・筑豊という人材の宝庫を知っていますか?① ひふみん こと加藤一二三さんも、この地方の出身です。

芸能人には博多出身の人が多いと言われますが、居住区としての博多区はごく狭い範囲で、純粋に博多の出身で芸能活動をやっているのは小松正夫さんくらいなもので、その他の方は福岡県の出身と言った方が適切かなと思います。しかし、地区として多くの有名人を輩出しているというなら、福岡でも筑豊地域がダントツだと思います。福岡の方以外は筑豊と聞いてもピンとこないかも知れませんが、旧産炭地の飯塚市、直方市、田川市の筑豊三都市とその周辺を筑豊と呼びます。

炭鉱が盛んだった時代には日本全国から人が集まってきたため、食の文化や芸能の水準が高まりました。その名残りとして菓子メーカーや加穂劇場などが今も当時を偲ばせます。博多三大祭りのひとつに上げられる筥崎方生会では多くの露店が並びますが、その柱には「筑豊の方歓迎」と書かれた木の短冊を見かけることがあります、これは一度炭鉱に入れば、帰れるかどうかわからない炭鉱夫たちは気前が良く「宵越しの金は持たない」と言って、多くのお金を露店で使ってくれたからです。

今では1960年代と比較して人口が半分以下になってしまった地区もありますが、筑豊からは多くの有名人が出ています。加藤一二三九段の出身地は嘉穂郡稲築町(現嘉麻市)です。現嘉麻市は筑豊地方南部に位置し、田園が広がるのどかな地域です。実は私の実家もこの近くで嘉麻市は飯塚市などへ出る為の通過地域でした。嘉麻市の行政区境には”馬見山”という山があり、私も何度も登ったことがあります。

何故、私が加藤さんの出身地に触れたかというと、嘉麻市は旧産炭地区でも端の方で田畑が産業の中心で、そんなに人口も多い地区ではありません。しかし、加藤さんは1954年に史上初の中学生棋士としてプロ入りを果たすのです、いったいどこで将棋を学んだのか、そんなに強くなるためには、それなりの対局が必要だったと思うんですが。

答えは筑豊です。1950年代と言えば、まだ採炭が行われていた頃で筑豊地域には各地からの人間の流入があったと推測します。人が集まればゲームが始まります、囲碁、花札、将棋。そういうふうにして将棋に親しんでいったのではないか?と私は推測します。しかし、小さな頃の話は、ご本人から聞かなくいてはわかりません。

この嘉麻市から数キロ行ったところに牛隈という地区があり、そこで育ったのが「つかこうへい」さんです。面白いと思いませんか、ここら辺は筑豊中心地区ではないのです、なのにこうした才能の人たちを輩出しています。筑豊に関しては、いろいろと書きたいことがありますので、今後も続けていきたいと思います。

 

旧産炭地・筑豊という人材の宝庫を知っていますか?① ひふみん こと加藤一二三さんも、この地方の出身です。」への1件のフィードバック

  1. 田川郡川崎町で観光農園を営んでおります。共感しながら楽しく読ませて頂きました。筑豊についても大変参考になりました。ありがとうございます。

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