旧産炭地、筑豊という人材の宝庫を知っていますか?②田川周辺

私のイメージの中では旧産炭地、直方・飯塚・田川地域を中心とする筑豊地区は多くの著名人を輩出していたような気がしていたのですが、産炭地という性格からどどこからか来て、どこかにというパターンが正解のようです。少し年代が上がりますが、作家の五木寛之さん。筑豊を舞台に「青春の門」を書かれたことで有名ですが、ご自身は福岡県八女郡の生まれです。小説と同じように一時期を筑豊で過ごされただけなのです。

またデザインの世界で有名な松永真さんも一時期を筑豊で過ごされています。年代的に東京府のお生まれなのですが、第二次大戦中から戦後を筑豊で過ごし、筑豊での生活が以降の自分に大きな影響を与えたことを語っています。資生堂の宣伝部に在籍していたことや、フランスの有名なタバコ「ジタン」のパッケージデザインをされたことでも有名です。

では筑豊出身の著名人はいないのか?というとそうではありません、ミュージシャンの井上陽水さんは田川の出身です。しかし、ご本人の記憶ではあまり筑豊での生活に思い入れがあったわけではないようです。恐らくは石炭が斜陽になり地域自体が衰退していく時期だったからではないでしょうか、ちなみに陽水さんが通われた予備校に私も通っていたので当時のエピソードも聞いてますが、特別なものはありません。

それから豊田一幸さん、そうです美容家のIKKOさんのことです。彼女も田川の出身です。逸見正孝さんのヘアメイクなどを経て、美容家になったことは有名です。彼女の場合には陽水さんより10年以上年若になりますので、さらに衰退した炭鉱町で育ったことになります。

炭鉱が盛況な頃は全国から人間が集まって人口が膨らみ、いろんな産業も活況を呈していました。例えば「おみあげ」として使用された焼き菓子などは筑豊を中心に発達したと言っても過言ではありません。みなさんがよくご存じの”ひよこ”も源泉は飯塚市内の工場です。東京で作られるようになったのは後でのことです。東映の古いやくざ映画の舞台となるのは門司あたりの石炭関連会社です。筑豊から積み出された石炭が北九州の港湾部に集まったからです。

年代的なものでしょうか、筑豊に哀愁を感じます。子供の頃に感じた「石炭の町」のイメージがあるからかもしれません、懐かしい思い出です。

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