”山の日”特集、夏休み特別企画「僕の山」①八甲田山

山間部で生まれ育った私は「山」はあまり好きではありませんでした。しかし、両親は山に登るのが好きで、家族して阿蘇や九重山に登った思い出があります。中学生くらいになると父と兄と国定公園指定の山などに入り採取が禁止されている植物を採ってくるなど、幼少の頃鍛えた登山魂を別にことに使っていました。そんな環境で育ちましたので高校に入ると出身を聞きつけて山岳部の方たちが勧誘に来られました。「山は好いとろ?山にいこうや」「インターハイ目指そう」出身と能力は違うものです、ご丁寧にお断りしました。

私の育った地区には、そこそこの高さの山があり近隣の高校の生徒がインターハイ等の大会に備えて練習にきていました。ときには大会用のコースとして設定されることもありました、小学生の頃は山菜を取りに入って山中で高校生とすれ違うと「なんで、こんな山の中に子供がおるとや?」と驚かれていましたが、私たちにとっては庭のようなもので、彼らの倍の速度で移動できたと思います。なので、山岳部とか言われても「なんだかな」って感じだったのです。

しかし、山岳部の部員とは親しかった覚えがあります。クラスがいっしょだったのでよくいっしょに遊びました、偶然に部活が山岳部だったのです。彼(N君としておきましょう)は家に呼んでくれてギターを弾いて聞かせてくれたり、秘蔵のビニ本(※わからない方は調べてください)を見せてくれたり、休みの前はこっそりビールを飲んだりもしました。まぁ、多感な時期ですのでお許しください。

誘われて見に行った「八甲田山」が凄かった

1977年の初夏、N君が映画を見に行こうと誘ってきました。山岳部の顧問の先生から見ておくように言われた映画があるので、いっしょに行こうと誘われたのです。サッカーのU君も誘って3人で中州の東宝に行きました。タイトルは『八甲田山』、そんな山がどこにあるのかさえ知りませんでした。N君曰く「しぇんしぇいが言うには、この映画はみんな見といた方がよかとげな」当時、私たちは従順でした。

いや~凄かったです。映画が始まるとほとんどが雪山のシーン、初夏とは言え映画館ではガチの冷房が入っていて、この映画のためなのか冷え冷えになっていたのです。私たちは映画と同じように唇を紫色にして3人抱き合って映画を見ました。映画館を出た時にU君が「助かった!」と言った時、私たちは本当に八甲田から帰還した思いでした。

映画「八甲田山」について

映画「八甲田山」は、新田次郎さんの小説「八甲田死の方向」を原作とする映画です。物語は1902年(明治35年)に青森の連隊が雪中行軍の演習中に遭難し、210名中199名が死亡した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)を題材にしています。極寒、極限状態での組織と人間の在り方を問いかけた作品となっています。主演は高倉健さんと北大路欣也さん、劇中で北大路さんが発した台詞「天は我々を見放した」は当時の流行語となりました。

映画では少人数で案内人を立ててリスクを抑えた行軍を計画・実行する高倉健演じる徳島大尉と、大隊長の命令で210名の中隊編成を率いることになる北大路欣也演じる神田大尉の2人の雪中行軍を対比しながら描いています。少数精鋭型と団体行動型、苛烈な環境下で「上司の命令」をどう考えるのか、選択肢のない軍隊を題材に問いかけていきます。徳島隊は全員帰還するのですが、神田隊で生き残るのは村山伍丁(緒方拳)のみでした。

映画はこの年、最大のヒットとなりました。また、作品の評価もたかく文部省推薦みたいになっていたと思います。おかげで、地元市民会館で「学校行事」として再び見ることなってしまいました。なんと、市民会館の冷房も強烈でN君U君を含め私たちは再度、「遭難」することになってしまいます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA