ヴィンテージカーと言えばカッコいいのですが、パブリカを知っていますか?

私が初めて車を買ったのは大学2年の頃でした、親不幸の始まりと言った方が良いかもしれません。それも、新車でカッコいい車ならわかるのですが、最初に買った車は1960年代に生産された「パブリカ800デラックス」でした。先輩が乗っていたものを譲ってもらったのですが、20数万円で買ったと記憶しています、当時はその価格が高いのか安いのかの判断もついていませんでした、今から考えるとちょっと高い買い物だった気もします。

その当時、すでに二時代前の車となっていましたので同年代の人間からは「外車か?」「シトロエンの小型」などと言われました。まあ、そう言われたいためにわざわざ古い車を買ったのですが、車名の「パブリカ」は60年代当時流行していた一般公募で決まりました、賞金額は当時では超高額の100万円、応募の葉書は108万通を超えたそうです。パブリック・カー(Public car)からの造語で、国民車に相応しい名前と評価されました。

1955年5月に当時の通称産業省・自動車課が国民車構想を計画しているという報道が流れます。これは一定条件を満たす「国民車」の生産を国によって後援しようという「日本版フォルクスワーゲン計画」でした、しかしマスコミがスクープしたことによって内部構造が明らかになってしまい、公式な政策となることはありませんでした。

この構想で通産省が想定していた「国民車」の性能は

1.最高速度は100km以上出せること。

2.定員4名、もしくは2名と100㎏以上の貨物が積めること。

3.平らな道路で、時速60kmのとき1Lの燃料で30km以上走れること。

4.大きな故障がない状態で10万km以上走れること。

月産2,000台の場合、最終販売価格は1台25万円以下でなければならないとされていました。パブリカは1961年6月発売当時、セダンの価格は38.9万円で軽自動車並かそれ以下という低価格でした。当時の広告コピーは「パブリカにはじまって、パブリカにつきる」でした。

古い車は金持ちの道楽

そんなパブリカを買ったのですが、故障が多いのには閉口させられました。また、エンジンをかけるのも慣れていないと癖があってエンジンさえかけることができませんでした。公道でブレーキが利かなくなってしまった時には死ぬかと思いました。車体は屋根が「白」ボディが「赤」、ドア横には銀色のモール、ちょっと見にはカッコよかったんですけど。

学校には同好の士がいて、彼はパブリカと同年代に製造された「スバル360」に乗っていました。いわゆる”てんとうむし”と呼ばれたコンパクトカーです、その形状もワーゲンを意識したものになっていました。何度か試乗させてもらいましたが、とにかく狭い、今では考えられないくらい狭いコクピットでした、それとやはり故障が多かったのも同じでした。

私も辛抱してパブリカに乗ったのですが維持できたのは2年ほどでした、その間に修理に費やした費用は50万以上だと思います、最後はエンジンが割れて酷い音を出すようになっていましたが、この車の空冷エンジンを開発したという人の娘さんが買ってくれました。以降、古いタイプの車を買うことはありませんでした。過去の思い出を維持していくのには「お金」がかかるのです、平民にそんな趣味は持てません。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA