上野村の黒澤さんをご存知でしょうか?今日、御巣鷹の尾根でお会いできます。

1085年(昭和60年)8月12日に日航機が墜落したのは正確には御巣鷹山ではありません。墜落したのは高天原山に属する尾根でだったのです、『御巣鷹山の尾根』と命名したのは元村長の黒澤丈夫さんでした。墜落現場から最も近距離にあり、現場発見と救助活動に協力した上野村は江戸時代には天領であり、黒澤家は代々そこを管理してきた家柄です。今でも同村内には黒澤姓の方が多く、国指定重要文化財・旧黒沢家住宅などが残されています。

上原村は過疎化が進む群馬県内でも最も人口の少ない地方公共団体です(2017年5月 1,188人)。「平成の大合併」に対して、合併しない宣言を出した村であり、人口密度が群馬県内の市町村の中で最も低い村でもあります。

墜落事故当時、初動で救助に当たったのは上野村消防団のみなさんでした。救助のプロでもなく、事故現場に近いという理由だけで救助に向かい、凄惨な墜落現場を見ることになるのです。私たちはニュース報道を見る時、亡くなられた方のご遺体を目の当たりにすることはありません、しかし、最初に事故現場に入る人たちは手つかず事故現場を目撃することになるのです。航空史上、最も凄惨な事故現場と呼ばれた123便の墜落現場です、上原村消防団のみなさんの驚愕や恐怖は想像を超えたものだったに違いありません。

そんな上原村で楢原地区には、公益財団法人・慰霊の園により「慰霊の園」が建てられました。8月に入ると御巣鷹の峰への登山者も増え、村人がボランティアで登山道を補修作業をする姿も見受けられます。8月12日には神流川での灯篭流し、13日夕刻には御巣鷹の峰で追悼慰霊祭が行われます、こうした活動も地元上原村の方々の協力なしにはできないことです。

今でも続けられる「風化させない」努力

御巣鷹の峰への冬季通行止めが解除される4月末から登山道の整備が始まります。五月から二か月間かけて尾根の中腹にある遺族らの山小屋近くの道、約40mに木製の補助階段が整備されました。他にも土砂が崩れかけていた墓標近くにも石垣を作りました、整備を行うのは黒澤完一さん(74歳)です。御巣鷹を訪れる事故関係者や事故を悼む人々の慰霊登山を支え続けています。

7月下旬から黒澤さんは、ほぼ休みなく山に入り日本航空の社員らと、新しい土を盛って登山道を修復するなど汗を流しています。黒澤さんは「登山道での事故だけは起こしてほしくない。遺族の方たちには気持ちよく慰霊登山をしてほしい」と笑顔で語りました。

年々、遺族の方も高齢化していきます。交通機関を使わない慰霊登山は厳しいものになっていきます、それを支えているのが地元の方々の登山道整備などのボランティアです。地震や豪雨で被災したのなら「地元」という考えがありますが、上野村は事故の時「そこにあった」だけなのです。それなのに、事故当時から遺族の方たちのために尽力されています。人口も減少し限界集落となりつつあります、その村の方たちが頑張っているのです。

今夕、御巣鷹の峰で黒澤さんに会ったならば「ありがとう」とお伝えいただけますか。

※関連記事

〇日本航空123便墜落事故から33年目の夏が御巣鷹山にやって来る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA