博多高校で暴力事件、アウトレイジなたけしが語る”対抗力”の考え方

さっきテレビで「アウトレイジ」やってました。暴力とかそういうことではなくて”殺し合い”の話なんです。法の下では生活できない人たちが法の外で生活をする話しなんですが、そういう人は一般人が通勤をするように”人を殺す”って感じなんですね。ひと昔前のヤクザ映画の金字塔『仁義なき戦い』は組織論の見本みたいな映画だと思っていました。しかし、アウトレイジはやくざ映画のジャンルではなく「法の外の人々」のジャンルなのです。

かつてやくざは法の下の支配が難しいところで生まれ発展しました。東は広島の沖仲仕の世界、西は筑豊の筏師の世界、いづれも気性の荒い肉体労働者の世界を管理仕切るために非合法な組織が作られ、その地域と仕事を支配することになります。こうしたエリアには公的な権力が立ち入ることが難しく、非合法の組織は必要悪として社会的な認知を受けていたのです。言い換えれば、社会的には生存権というかプレゼンスを認めれていたのです。

北野監督は、そうした非合法組織の歴史を踏まえて現代における非合法組織の姿を描いているような気がします。そうすると、現代の非合法組織が持つイメージは中途半端な「暴力」ではなく「殺し合い」の表現になってしまうのではないでしょうか。

先般、福岡の博多高校で生徒が教師に暴力を振るった件で北野監督はコメントしています「やっぱ教職課程で、柔道・空手・合気道。ぜんぶ入れたほうがいいんじゃないかね?」「それで、生徒から受けた暴力には、暴力で対抗するくらい強い先生ね」と教師側の対抗力が必要ではないかと語っています。これを暴力の肯定と捉えるのか教室内秩序維持に必要な抑止力と見るかが大切な点だと思います。

加害者の母親がSNSで訴え「うちの子こそが被害者!」

驚いたことに公開されている暴力を振るう男子高校生の母親がツイッターに、加害者である自身の息子を擁護する発言を投稿しているのです。「息子は精神的にやられてしまいました。確かに息子がしたことは誇れることではありませんが、だからと言って息子はここまで攻撃される必要があるのでしょうか?」等々、今回の暴力行為に対する非難で息子が精神的に追い込まれているというのです。

このお母さんにははっきり言っておかなければなりません、アウトレイジな人達でさえ暴力を前面に押し出した生き方ができない時代なのです。一般人が感情に任せて暴力を振るって社会的攻撃に合うのは「おかしい」とは言えません、はっきりとした反社会的組織の存在が薄れ、暴力を振るう危険な対象は一般人の中に巣くうようになったのです。おかあさん、暴力を振るった息子さんが悪いのです。

そして、一方的な暴力に倒れる「被害者」がいることがさらに問題を大きくしていることも事実です。今回、この被害者の先生が加害者の生徒を反撃で蹴り倒していたとすればどうでしょう?少なくとも”教室内の秩序”は強い先生によって回復されたはずです。しかし、SNS社会の現代では今度は先生が「暴力教師」のレッテルを貼られることになります、このように『暴力』を使って問題を解決するというのは非常に難しいのです。

かつて「ヤクザ」が社会的に非公式で存在を認められた時代には、かれらは扱いの難しい「暴力」を使うことによってプレゼンスを得ていたのです。その時代の「暴力」に対する認識は安易なものではなく、一般人が使う力としては考えられなかったのです。現実から離れたところで「暴力」を感じるため、今回の高校生のようなケースが出て来るのかもしれません。先生に暴力を振るった彼こそが『アウトレイジ』な存在なのです。

 

 

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