名古屋の「丸栄」が閉店、追い込まれる地方名門百貨店の今後

引用 丸栄

名古屋の地元百貨店「丸栄」の閉店が発表されました。丸栄を傘下に持つ名古屋市の商社・興和が方針を決定したのです。建物を解体し、2020年をめどに商業施設などを含む新しい施設をオープンさせる予定だそうです。興和グループが周辺に持つ他のビル2棟も、20年までに取り壊す方針です。再開発は2段階で行われ、周辺のビル跡地を含む本格開発は、事業費2000億円規模の巨大プロジェクトとなるようです。

丸栄は創業400年を超える百貨店の歴史に幕を下ろすことになります、営業を終える時期や新施設の詳細は検討中ですが、年内には発表の予定です。丸栄の建物の一部は震度6以上の地震で「倒壊の危険性が高い」と判定されていて、興和の三輪社長は「お客様と地域住民の安全が最優先。壊さないと危ない」と強調しました。丸栄の跡地利用は「まだ、決めていないが更地にも固定資産税はかかる。商業施設を検討している、20年をめどに運営を始めたい」と説明したうえで「デパートではない」と明言しました。

丸栄は1615年(元和元年)に創業した老舗十一屋呉服店と、京都で丸物(百貨店)を経営していた中林仁一郎が地元資本家と合弁で1937年9月に設立した百貨店三星が、1942年に政府から”企業整備令”が発令されたことへの対応策として合併して、1943年(昭和18年)8月27日に設立された百貨店です。丸栄とは『栄の地で丸く栄える』という意味があるそうです。

名古屋では松坂屋が圧倒的な存在でしたが、これと差別化を図るためカジュアル路線を採ってきました、JR名古屋タカシマヤ開業以降はその差別化傾向を更に推し進め、10代後半から20代全般の女性に人気が高いギャル系ブランドに注力したテナント構成となっていました。黒く日焼けした派手な黒ギャルのショップ店員も数多く働いている、そうした路線からギャルは勿論の事、派手さを好むageha系いわゆる名古屋嬢等の女性からも高い支持を集めていました。

しかし店舗全体の売り上げは減少が続き、2013年と2015年の連結決算は最終損失となり、厳しい経営状況が続いていましたが、2017年4月12日テナント運営を主体とする業態に転換して百貨店事業を縮小する方針が発表されました。これと同時に東証一部と名証一部の上場を廃止する方針も発表されました。同じ日に興和による完全子会社化が公表され、今日の”閉店”発表に繋がっていくのです。

商店街と同じように姿を消していく地方百貨店

東京都心の『百貨店』でさえ売上現象の傾向に歯止めがかからない今日、地方の百貨店が生き残るのは難しい時代なのかもしれません。丸栄も最後は”テナントビル

引用 丸広百貨店

化”して、単なるスペースを貸すだけの商売となっていました。しかもテナントは大きなスペース使って低価格販売をするような業種が主体です、店舗スペースは埋まるかも知れませんが経営的には賃料が少ないため苦しくなっていきます。今回の丸栄のケースは全国の地方百貨店や駅前ビルの現状そのままだと思います。

私の地元”埼玉”には『丸広百貨店』という地場百貨店がありますが、やはりスペース貸し中心のテナントビル化の方向に向かっています。テナントさんも低価格志向の業態が多く「ここが抜けたら、次はどこがくるのだろう」と客として心配になってしまいます。先般も『無印良品』が撤退しました、仮囲いのスペースが出来るとどれだけのボリュームで店舗があったのか再認識させれます。

丸栄はの京極社長は「旧態依然の百貨店ではダメで百貨店業態のビジネスモデルを進化させることが重要」と言われてました、また「私は『百貨店業』に明確な定義はないと考えている。全国の百貨店を見渡してもその中身は大きく変わってきており、それが進化だと捉えたい」とも語っていました。その結果、テナントビル化して閉店という結果です。

百貨店に関して言えば”明快な定義がない”というのは間違いだと思います。百貨店としての明確な位置を失った時から迷走が始まり、現状の衰退を招いているのではないでしょうか。サザエさんの時代に『デパート』は”非日常”の場だったのです、日頃から欲しかったあの品、この品を売っている”非日常”なお店、それが百貨店であり、地元百貨店は地域の誇りのような存在だったのではないでしょうか。丸栄さんの閉店には寂しいものを感じます。

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