浅草「仲見世商店街」の家賃が16倍に、存亡の危機って本当なの?

浅草は浅草寺、私はここでおみくじを引いて”凶”以外を引き当てたことがありません。いやいや、そういう事ではなく今日のお話はこの浅草寺まで雷門から続く約250mに渡る日本最古の商店街『仲見世商店街』についてです。仲見世商店街は日本で最も古い商店街のひとつと言われています、徳川家康が江戸幕府を開いてから人口が増え、浅草寺への参拝客も一層賑わいました。それにつれ、浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に対し、境内や参道上に出店営業の特権が与えられました。これが仲見世の始まりで、元禄、享保(1688、1735~)の頃と言われています。

江戸時代には、伝法院から仁王門寄りの店を役店(やくだな)と呼び、20軒の水茶屋が並び、雷問寄りは平店(ひらみせ)と呼び、玩具、菓子、みやげ品などを売っており、次第に店も増えて日本で一番形の整った門前町へ発展していきました。明治維新の政変により、寺社の所領が政府に没収され、浅草寺の境内も東京府の管轄となりました。しかし新政府は東京内に5つの公園を作り、公園法を制定して以前からの一切の特権が仲見世から取り上げられることになりました。

明治18年5月(1885年)東京府は仲見世全店の取り払いを命じ、各店舗は泣く泣く退店しました。その後、煉瓦作りの洋風で斬新な新店舗が同年12月に完成して、近代仲見世が誕生しました。この赤れんがの仲見世も長続きはせず、大正12年の関東大震災により壊滅。同年14年に現在の鉄筋コンクリート造り、桃山風朱塗りの商店街に生まれ変わりました。昭和20年の東京大空襲の際に内部は消失しますが、仲見世の人々の努力によって復興を果たします。

現在の仲見世には東側に54店舗、西側に35店舗、合計89店舗の店があります。長さは250m、美しい統一電飾看板と四季折々の装飾が石畳に映え、訪れる外国人観光客からは大好評を得ています。そんな、浅草寺・仲見世商店街ですが『賃料』に関する問題が噴出しているようです。

16倍の家賃に恐れをなす商店街、果たして適正賃料はいかほど?

今年の7月東京都は仲見世商店街の建物を浅草寺に売却しました。そもそも土地は浅草寺が所有していたため、これで土地・建物ともに浅草寺の所有となり従来の形に落ち着いたことになります。東京都が仲見世商店街を所有してきたこれまでは月家賃は10坪で15,000円、全89店舗の商店街では平均23,000円の賃料が支払われてきました。この月額賃料を世間相場並みの1店舗37万円程度に引き上げることに関しての「問いかけ」が浅草寺から仲見世全店にされたのです。

一部にこういう報道が出ています。「9月に、仲見世商店街の各店に2枚の紙が配られ。来年1月から家賃が16倍になると書かれており、とても16倍もの賃料は支払うことができないと当惑している。」と商店街の方が語ったというものです。まず、浅草寺側から一方的に賃料の値上げを言い渡したように見えますが、そうではありません、浅草寺はこの7月に東京都から2000万円で仲見世商店街の建物を購入、家賃設定の為に”世間相場”を投げかけて見ただけで、16倍に「上げる」とは言っていないのです。

それから2つ目ですが『16倍』と聞くと浅草寺が暴利を欲しているように聞こえますが、これも現状の賃料評価を考えれば単に16倍と表現するのはどうかと思います。地元不動産紹介業の方の話ですと周辺の店舗賃料の相場は20坪程度であれば50〜70万程度らしいです、引きあげられた仲見世の賃料は一店舗平均で368,000円です。一般的な店舗賃料相場以下の賃料だということです。

商店街の方の中には「そんなに上がるとやっていけない」「戦前から商売しているが、急に言われても困る」と言った声が出ているそうです。確かに仲見世独自の店舗で”利益”の少ない業態では苦しくなって来るかもしれません。しかし、観光客が押し寄せる都内の有名観光地において1坪1500円の家賃で営業をしてトントンということはあり得ないでしょう。商店街の方が「今でもトントンなのに」と言われていましたが、それでは商売になっていないとしか言いようがありません。

あまりに環境的に「過保護」になった部分に関しては見直しが必要なことは確かです。そこは各店ごとに事情が違うので、めんどうでも個別対応をすることが歴史的な商店街を守ることになると思います。あまり数字に捕らわれると仲見世に「ユニクロ」「ABC」「スターバックス」と言った店舗が並んでしまうことになるので、こうした機会に歴史を守りつつ税制を行使する方法を考えていただければ幸甚です。ねえ小池さん。

 

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