テレビが元気だったあの頃、伝説のバラエティ「進め!電波少年」を覚えてますか?

引用 進め!電波少年

このところ最近のテレビはダメになってきていると、低調になりつつあるという論調でテレビ関連の話題は書いてきましたが「では、なにがいいんだ!」ってことになろうかと思います。私的には1992年から6年にわたって日本テレビ系で放送された「進め!電波少年」が私にとっての最高のバラエティ番組でした。

番組はアポなし、突撃、ヒッチは行くと無謀と思える企画ばかりでした。おそらくテレビ史上類を見ない伝説的なバラエティ番組と言って良いと思います。マフィア、政治家、暴力団、スラム街までも番組の題材にし、生命に関わるような危険なロケもたくさんありました。企画によっては警視庁や都庁からも抗議や抑圧があり、到底現在のテレビでは制作不可能な番組でした。

その始まりを聞いて笑ってしまいます。番組タイトルの「進め!電波少年」は当初構成作家が「怪傑電波芸者」を提案、制作局長から「芸者はダメ」で別の構成作家が「電波将軍」を提案、これを聞いた土屋プロデューサーらが「いいねェ、電波少年」と勘違い、加えて「少年なら“進め”だろう」といったいい加減な経緯で「進め!電波少年」のタイトルが決定したそうです。製作スタッフは「どうせツナギの2カ月だけの番組」と思って軽く考えていたのです。

しかし放送を開始すると初回から視聴率12%と好調な滑り出し、最終的には10年を超す長期シリーズへと発展します。番組からは有吉弘行さんをはじめ多くのタレントが排出されました。

では、具体的な内容を思い出してみましょう

■アポなし企画

当初は「アポなしロケ」という、MCの松本明子さんや松村邦洋さん、ゲストが事前許可を取らずに多くの著名人に様々な依頼を敢行するという企画でした。番組が成立するかどうかアポなしの強行がスリリングで人気が出ました。しかし、押しつけの勝手な企画に「無礼だ」と抗議が番組に寄せられるのは常でした。アポなしは政治家ネタも多く、MCの松本さんと松村さんの2人は永田町周辺ではブラックリストに載せられていました。南アフリカロケでは実際に当時の大統領ネルソン・マンデラに面会、他にもアポなしでマフィアのボス、暴力団の事務所、夜のスラムと、生命に関わる危険なロケも行いました。(松村邦彦さんは拳銃で脅されたこともあります。)

■代表的なアポなし企画

・森英恵にスタッフジャンパーを作ってもらいたい
絶対に無理だとシャレで始めた企画であったが松本明子さんがロケで同依頼をすると森さんは「いいじゃないの。やりましょう」と面白がって快諾。ジャンパーを作ってくれました。

・入れ墨バンドに「バウバウ」って刺青を入れてほしい!
ライブ突入シリーズロケでの第1弾。盛り上がっているライブ会場に松村さんとスタッフが突入。松村さんは舞台に上がり刺青をお願いしようとするが、会場スタッフに取り押さえられ舞台下で警備員や観客にもみくちゃにされます。その間3分、これ以降ライ
ブ突入はシリーズ化されましたが、警戒され突入は難しくなっていきました。

・村山富市の長い眉毛を切ってあげたい!
当時、日本社会党の委員長を務めていた村山富市氏の眉毛を切ろうと、松村さんがハサミ持参で社会党本部に乗り込みます。松村さんの必死の願いに最終的には村山委員長が応じ数本の眉毛を切ることに成功します。

・アラファト議長とデュエットしたい!
当時のパレスチナの指導者でノーベル平和賞を受賞したアラファト議長に松本明子さんがアポなしで携帯カラオケを持って突撃し、テントウ虫のサンバの替え歌「アラファト私が夢の国」をデュエットしてもらおうとしましたが、言葉がわからない議長には歌ってもらえませんでした。しかし、面会を許され歓迎されました。

・ドラクエのバレエにスライムで出演したい!
松村さんがバレエ「ドラゴン・クエスト」の初演(1995年、スターダンサーズ・バレエ団)にスライム姿での出演を依頼するというものでしたが、即座に断られました。バレエ関係者はこの行為にカンカンに怒っていたそうです。

■ヒッチハイク企画

引用 進め!電波少年

1996年4月に始まった猿岩石の『ユーラシア大陸横断ヒッチハイク』によって番組は空前の人気を博し、このヒッチハイク企画は社会現象にまでなります。このヒッチハイク企画を機に、以降無名のタレントを使ってまさに体を張った体験取材企画が中心となっていきます。その結果、前出のアポなし取材は1977年以降ほとんど行われなくなり、出番が少なくなった松村邦洋さんは降板を余儀なくされます。
(余談ですが松村さんが降板させられたのはナイターのゲストで呼ばれた際に自分がレギュラー出演している番組を宣伝、同番組は電波少年の裏番組であり、松村さんが裏番組に肩入れしたとして強制的に番組出演を自粛させられました。テレビ全盛期らしい話だと思いませんか。)

「進め!電波少年」は「進ぬ!電波少年」「電波少年に毛が生えた 最後の聖戦」とシリーズが続きました。番組では数々の当たり企画を生み、全盛期には視聴率30.4%を記録。日本テレビの1990年代黄金期を支えた番組でした。

しかし、改めて「アポなしロケ」などを振り返ってみると、今では決してできないような内容のものばかりでした、やはり時代ということなのでしょうか。ダウンタウンの松本人志さんが言うように「尖がったものが作れない時代」ということでしょうか、今後も視聴者である私たちにとって本当に「面白い」番組が供給されるのでしょうか、テレビ自体に対する再評価の時代なのかもしれません。

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