なぜか?今、校則が論議される訳「ブラック校則」とは

大阪府立高校に通う女子生徒が昨年、生まれつきの茶髪を黒く染める様に学校側から強要されたことで、精神的苦痛を受けたとして今年、生徒が府に対して約220万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたことが話題となり、あちこちの学校の校則が取り上げられています。「下着は白以外ダメ」「うなじが男子生徒の欲情をそそるので、ポニーテールは禁止」などです。女子生徒が訴えた学校では多くの先生が女子生徒の髪の根元が黒く、地毛が黒であったと証言しているようです。「学校」でありながら、生徒か教師が虚偽を正当化しようとしていることが悲しいと思いませんか。

『校則』特に昭和世代に我々にとっては校則=髪型規制的な感がありました。私たちが高校生の時代は”昭和”の真っ盛りで「パーマ」なるものをかけることが流行っていました。高校生の頃は、くるくるパーマをかけてしまうと直ぐにバレるので「アイパー」と呼ばれる、直毛のパーマが流行っていました。髪型は「オールバック」のみです、修学旅行の時にはほとんどの生徒が「アイパー」をかけており、逆に校則で規定しているのかと思われるくらいでした。今思えば、学生の分際で高い料金をかけて髪をいじることがNGだと言われていたのだと思います。

しかし、十代の後半に背伸びしたいと思うのは当然と言えば当然のことです。「ダメ」って言われることがやってみたいのです、しかし、現在取り上げられている「ブラック校則」というのは、ちょっとニュアンスが違うようです。「白い下着以外付けてはダメ」う~ん、女の子であればピンクや黄色の下着を着てみたいと思うのは不思議ではありません、どうして白しかいけないのでしょう?理由がよくわかりません。それ以上にわからないのが男女関係を制限する校則です「男女は2m以内に近づいてはいけない」笑ってしまいますよね、無理に決まってます。集会の時に列を作ったって横との距離は2m以下な筈ですから。

ルールで規制することが”楽”だという考え方が浸透しているのではないか

学校から社会に出れば、社会のルールの中で生きなければなりません。そのルールには「法」的なものと「倫理」的なものがあります、当然、法を犯せば罰則を受けねばなりません。そうならないように学校生活を営む間にルールに従うことがどういうことかを学ばなくてはなりません、集団で生活するためには決まりごとが必要なのです。誰かが右ではなく、左を走れば列が乱れ怪我をする人間が出るというようなことです。

ルールにはそれなりの理由があります「AするとBとなり、それは他に害を及ばすからAはしてはならない」といった具合です。「女子生徒のうなじに男子生徒が興奮するからポニーテールは禁止」だったら「舞妓さんのうなじに外人観光客が興奮するから、舞妓さんは髪を結ってはいけない」ということにんるのでしょうか、えぇ!そこの貴方、そこの学校の先生に聞いているのですよ。

失礼ですけど「楽だから」でしょ?俺が決めたわけでもなく、俺が強要しているわけでもない、昔から校則としてあるから『守らなければならない』そう言って押し付けるのは”楽”でしょ。そういう体制が強化されていくと全体主義的な思想に傾いて、危険な方向に流れてしまうのではないですか、軍事国家なんてそんな感じでしょ、もっと言えば昔の日本はそうだったんじゃないですか?

なんか答えに当たったような気がします。日本人の美意識は『恥の文化』だと思っていますが、どこかに形式至上主義的な部分があり、それが『恥の文化』に重なっているような気がします。形を賛美するのは問題ありませんが、形に溺れるのはいただけません。

 

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