日本一古い”クリ”の発見、そんな昔から日本人は栗を食べていたんだ。

今月25日、長野県上松町は町内の竪穴式住居跡から約25年前に見つかった栗の実が1万2700年~1万2900年前の縄文時代初期のものであると発表しました。今まで国内最古とされていた栗の実より少なくても2000年ほど古いと言うことです。上松町教育委員会が1992年から1993年にかけて、町内の「お宮の森裏遺跡」で実施した調査で、皮のない栗の実2個と破片874個を発見しました。栗の実は炭化していて厚さ約8㎜で、ひとつには直径1.3㎜の穴があり、糸などを通して乾燥させて保存食にしていた可能性もあるそうです。

栗の年代が1万2000年以上ものとなると、日本で稲作が行われる前の時代になります。縄文時代には既に稲作が行われていたという説がありますがまだ議論の最中であって、確たるものは発表されていません。主食となる穀類がない時代に、こうした栗や他の木の実を食べて狩猟民族として生活をしていただろうことを考えると感慨深いものがあります。

栗の実を生のまま食べたことがありますか?まず、くりはイガイガの棘の付いた外側の外皮を外して、その茶色の実を取り出しますます。その固い茶色の皮を剝くとさらに、その下には渋皮があってこの皮を剝いて初めて薄黄色の身を見ることができます。太古の昔、トゲトゲの殻に覆われたこの栗を「食べよう」と誰が思ったのでしょう、また、食べられることをどうして知っていたのでしょうか、もし私たちが栗に対する何の予備知識もなかった場合、山中で栗を見つけたとしても食べようと思うでしょうか。

もしかしたら動物が食べているのを見て「これは大丈夫」ということで食べたのかも知れません、しかし、生の栗はおいしくはありません、そのまま食べても『甘く』ないし、その食感は表現しがたい妙なものです。

食べる方法を見つけ、保存までしてしまう「それが人間」なのです。

栗は焼きません、なぜって外皮と身の間の空気が膨張して爆発してしまうからです。茹でて食べるのが一番楽だし、美味しい食べ方なのです。でも縄文人はどうやった食べていたのでしょう、発見された身は炭火していたといいますが、それは土の中で炭化したのか炭化したものが土中にあったのかわかりません。しかも保存の跡まであったということです。

歴史や古代の謎に興味を持つ人がいるのが良くわかります。栗ひとつ取っても「誰が食べ始めたのか」「どうやって食べたのか」「保存していたのか」などと、たくさんのことを思ってしまいます。古代の遺跡、貝塚なんかはゴミ捨て場と呼んでいいのでしょうが、そこに思いもよらないものがあったりすると、びっくりさせられるんでしょうね。

そのビックリから言うと千葉県の姥山貝塚や全国の貝塚から「ふぐ」の骨が出土していることをご存知ですか?こうした発見から日本人は縄文時代にはすでにふぐを食べていたと考えられています。近代に入ってさえ、食べて毒で死ぬ人がいたのですから、その頃は多くの人がふぐを食べて死んだかもしれません、いや。逆に毒に勝っていたのかも「この魚、食べるとピリピリするね」とかいって毒を楽しんでいたのかもしれません。

栗に話は戻りますが、三重の皮に包まれ”火”を通さないと甘味を感じない「この木の実」を古代の人々はどういう位置付けて食べていたのでしょう興味は尽きません、発見されたその時代の生活もいっしょに公開していただくと楽しいと思います、そうしたことで歴史に興味を持ってこの分野の研究をしたいと思う子供たちも増えていくのではないでしょうか。

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