オウム元信者菊地直子被告の無罪が確定、彼女は加害者なのか被害者なのか?

菊地被告が逮捕されたのは2012年6月のことでした、逮捕のきっかけは市民からの通報でした。この年の2月にオウム手配犯への懸賞金が500万円から1000万円に上がったことも、通報の助けになったと思われます。実は通報したこの市民というのは菊池被告が同棲していた男性の親族だったのです。なんと借金を抱えていた同棲相手が懸賞金目当てに親族に頼んだようなのです。

菊地被告は父親が大学教員の厳格な家庭に育ち、成績も優秀でしたが高校を卒業すると同時にオウム真理教に入信し、家を出ます。他のオウム信者がそうであったように彼女も純粋で真面目な性格をしていました。出家した後に彼女が知り合った男性信者は、当時の彼女の状況を語っています。彼女は「修行がつらい」と男性信者に漏らし、8月には修行施設として体制が整った熊本の波多野村に移ります、当時は下向き(在家信者に戻ることを)をするかどうか迷っていたそうです。

彼女がオウムの中で頭角を現すようになるのは教壇に陸上部が発足し、彼女が大会に出場するようになってからです。1991年に「オウム・スポーツクラブ」として東京都陸上連盟に加盟が認められ菊地容疑者は同年の河口湖マラソンに出場します。これを皮切りに1992年東京女子マラソン、1994年には大阪国際女子マラソンをオウム真理教陸上競技部員として走ります。大会に参加することで、一部マスコミでも取り上げられる存在となりました。

そして1995年4月19日~4月25日の5回にわたり、山梨県上九一色村の施設から東京都八王子市のアジトに爆発物の原料となる薬品類を運びます。この行動がマスコミに知られ『走る爆弾娘』の異名が付けられました、そして菊地容疑者はこの件で殺人未遂ほう助の罪に問われていたのです。

逆転無罪の2審判決をを支持した最高裁判決、菊池容疑者は晴れて”無罪”となる

菊地被告の入信当時の写真をご覧になったことがあると思います、パンパンに張った若い彼女がそこにいます。恐らく、彼女にとってのオウムは正義でも悪でもなく、当時の彼女の”居場所”だったのでしょう。置いてもらう以上は働かなくてはならない、彼女は言われるままに走り、薬品を運んだのです。その結果として傷つく人間が出たことは間違いありません。しかし、菊池被告が薬品が何に使われるかを知らなかったとしても不思議はありません。

平成12年に彼女が逮捕された時の写真が忘れられません、入信時の頃とはまるで別人のように痩せこけた菊地被告がそこにはいました。17年間にわたる逃亡生活が彼女を変えたのでしょう。また、逮捕時の通報が同棲していた男性の関係者が頼まれて行ったことを知った時には、あまりの無残さに声も出ませんでした。

恐らくは純粋で生真面目であった菊地被告は”奇跡”を行う浅原氏に救いを求めたのでしょう、大学職員で厳格な父親と話が出来ず閉塞感を感じていた時期に、オウムが救ってくれると思ったのです。また、救うことができるように見せて信者を騙していたのもオウムです。そして、菊池被告は自分の行為で生命が奪われかけたことを知って自責の念から17年の逃亡生活を送っていたのです。捕まった際に映された彼女が暮らしていた住居の”存在を知られたくない”感じが、あまりにも悲しかったのを覚えています。

私見ですが、菊池被告もまたオウムの犠牲者だったのだと思います。そのことを認めたからこそ最高裁は「無罪」の判決を行ったのだと思います。知らずに行ったとしても社会的な責任は逃れられないと言う人がいます、確かにそうです「法的解釈」ではそうかもしれません。しかし、人間的な見地から見てどうなのでしょう、17年もの間「自分の罪を恐れながら」生活してきたのです。十分だと思います、ご遺族の方や今もまだオウム被害の後遺症に苦しむ方から見れば『あまい』との指摘を受けるかもしれません、しかし、許されるべき人々もいるのではないでしょうか。

菊地被告が無罪になったところで、翌日から社会に認められ通常の生活に戻れるわけではありません。その素性が知れれば職場を追われ住む場所さえ得る事は難しい状況に陥ることも考えられます。無罪になったことで国家賠償が出るとの話もありますが、残りの人生を保証するに足るものでは無いはずです。法の裁きなどなくても、十分に償いの機会は用意されているのです。良識ある日本人のひとりとして菊地被告の「無罪」を受け入れます。

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