石炭文化の思い出、雪の日に思い出す「石炭ストーブ」と給食時間。

関東の寒さも続いていますが、九州の母から電話があって「雪が積もっている」と聞きました。子供の頃、今よりもずっと雪が降っていた頃、小学校では石炭ストーブを使用していました。冬の季節になると石炭置き場が設置されて黒い石炭が用意されるのです、当番になると容器を持って行って石炭を詰めて、各教室の石炭ストーブに使用していた記憶があるのですが、どうしても具体的な石炭用の容器や置き場を思い出すことができません、恐らく小学校の低学年までの使用だったため記憶が薄いのだと思います。

雪原となった校庭を歩いて学校に通うのは不思議な感覚でした

信じられないかも知れませんが、当時、積雪が70cmを超えたら小学校は休みでした。季節になると家の庭に竹の棒を刺しておいて、70㎝の位置に目印を付けて、それを超えたら「休み」だと判断していました。実際には50㎝も降れば、学校には通えませんでした。一番やっかいなのが20~30㎝の降雪の場合です、長靴を履いて学校に行かなくてはなりません。登校の道はアスファルトの国道ではなく田畑の間に作られた農作業用の道でしたので、自分たちが歩いた足跡だけが学校まで続き、変な感じでした。学校に到着しても、広い雪原となった校庭を渡って行かなくてはなりません、その感覚は不思議なものでした。

給食の時間にはストーブの上でパンを焼いて食べるのが楽しみでした

冬の寒い日に大変な思いをして学校に行って、最大の楽しみは給食でした。給食の時間になると先生がストーブの上に網を置いて食パンを焼いてくれるのですが、一度に焼くことが出来るのは4枚程度でした。しかし、山間の小さな小学校の1学級です、たった20人ほどしかいなく、またストーブの火力も強かったため、すぐにパンは焼きあがりました。ストーブを囲んでの「みんなでの給食」は楽しい時間でした、別に御馳走が出るわけではないのですが、たったパンを焼いてもらえるという、それだけでも随分と嬉しかった思い出があります。

石炭のストーブなんて見たことがないという人が多いかもしれません、しかし、黒い石が燃えて私たちを温めてくれたことは事実です。石炭がエネルギーとして廃れることで産炭地区は衰退し、主力は石油系の燃料へと移っていきました。私の記憶も、どこかで教室のストーブが石油ストーブに切り替わっています。それがいつだったかは思い出せません、石油ストーブに代わってからは「危険」ということで給油作業は先生が行っていたので、石炭のときのように真っ黒になって燃料を運ぶことはなくなりました。でも、いまでも思い出すのは微かな記憶なのですが”雪の上の足跡と石油ストーブ”なのです。

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