さいたま市議・吉田一郎氏の不適切発言「首つって死ね」どうにもならない地方議員の品のなさ。

今回は私の地元”さいたま”市議会の議員が不適切発言を行って問題となっています。先日、読売新聞記者に「殺すぞ」発言をして辞職を届け出ていた西宮市長今村岳司氏の辞職が認められたばかりというのに、また、地方議員の「不適切発言」です。問題のさいたま市議は吉田一郎氏、市議当選4回を数える中堅と言っても良い議員で、市議会文教委員会で質問に答えた私立中央図書館長に向かって「首をつって死ね」と発言して問題となっています。

ジャーナリストの経歴を持つ、さいたま市議会議員

■若い日には海外でいろいろと経験を積んだのに

吉田氏は東京都北区赤羽生まれ、中学生の頃タモリの「四ヵ国マージャン」を見て中国語と韓国語を独学で学習。法政大学入学後は在学中に2年ほど香港中文大学に留学、アルバイトで生活しながら九龍城砦で生活していました。法政大学卒業後は再び香港に戻り週刊「香港ポスト」の記者となりました。その後、月間「香港通信」編集長・日刊「香港ビジネスポスト」と編集長を歴任しました。その間、フリージャーナリストとしても活躍、中国返還前の香港や東南アジア諸国を取材しました。

■香港ポストをリストラされて退職、1998年に日本に帰国

吉田氏は香港から帰国後、さいたま市長選に出馬しています、その当時のことを自身のブログ内のプロフィールで語っています。

●住民不在の合併に憤り、市長選に出馬
10年ぶりに帰国してみたら、故郷・大宮は住民投票も行われないまま、3市合併でさいたま市に。「さいたま新都心への首都機能の移転」をエサに、「平成の大合併」のモデルケースとするための、国策に踊らされた住民不在の合併に憤りを感じて、2001年の市長選に「住民投票で合併解消」を掲げて告示直前に立候補。まったく準備をしないままの市長選出馬で、結果は惨憺たるものだったが、これ以降、さいたま市の在り方に一市民として、異議を唱えることに。(吉田一郎氏ブログより)

自分の事を「日本で最も積極的に意見を表明する議員」と自己紹介。

■市議会議員に初当選した頃のことを自らのブログで語る

吉田氏のブログには自らが市議選で初当選した頃のことも紹介されています。

●市議として「命がけ」で発言権を獲得
2007年の市議選で「相川市政と全力で勝負だ!」をスローガンに、5027票を得て初当選。会派に属さない無所属議員として活動を始めるが、さいたま市議会では地方自治会を無視して、各政党・会派が本会議での無所属議員の発言を禁止する「申し合わせ事項」を定めていた。そして議会で意見を表明すると、演壇から引きずり降ろされたり、出席停止などの処分が繰り返されることに。そこで議会の現状に抗議して、09年3月に議員をいったん辞職。5月の補欠選挙で「すべての議員が発言できる議会」を掲げ、さいたま市始まって以来の27,045票の記録的得票で復帰当選を果たし、市民の「審判」が下ったことで、本会議での発言権を獲得。(吉田一郎氏ブログより)

■そして今回の不適切発言、市議はやっぱり「隠れ人格破綻者」だったのか?

前後の経緯はわからないのですが、市の関係者によると、吉田市議は市立図書館の文庫本の割合などについて利根川雅樹館長に質問しました。官庁の答弁後、マイクが入っていない状態で不適切な発言をしました。吉田市議は「ちゃんとした答弁が無いと感じ、かっとなってしまった。非常に不謹慎だった」と釈明しました。教育長は「誠実な答弁であり、吉田市議の発言は人権を侵害しており断固抗議する」と話し、当事者の利根川館長は「私も職員も大変ショックを受けた」と語っています。

職務を行っている際に相手方に対し暴言を吐くことはあるかもしれません、しかし「死ね」「首をつれ」などは度を超えた発言です。子供の喧嘩でさえ、こうした悪意に満ちた言葉は聞かれないと思います。吉田市議はジャーナリストの経験もお持ちで、言動に関する問題には一般人よりも経験・知識ともにもおありの筈です。何を言っても始まりません「人格破綻者」を思わせる発言です、責任をとって即刻、辞任をしていただきたいと思います。毎回、書くことになって残念ですが「政治家以前に”人”として失格」なのです、謝って済む問題ではありません『不適格』であることを自らが露呈したのですから2007年の時のように辞職して、補欠選挙で市民に民意を聞いてください。私は断言します100%「落選」です。

 

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