
引用 朝日新聞デジタル
中小企業の技術を活かして世界の舞台に製品を送り込む、高い技術力があれば可能な気がするでしょう。しかし、技術が高いだけでは総合的な商品としては通用しない場合もあるのです。私も小さな製造業の面倒を見たことがあります”技術”を企業向けに発信すると、いろいろと引き合いはきます、しかし、それに伴い「こうできるか」「あれも加えてほしい」と言ったニーズにも応えなければならなくなっていきます、そうなると単独での対応は難しくなっていくのです。大田区の100社以上の企業が参加した『下町ボブスレー』今年は平昌でジャマイカ選手が乗る予定だったのですが・・・。
下町ボブスレープロジェクトはジャマイカの為にあったのではありません。
■ボブスレーは欧米では人気のあるスポーツ

引用 NEVERまとめ
日本ではあまり人気がある競技ではありませんが、ボブスレーは欧米では伝統と人気のあるスポーツなのです。そして欧米の強豪国では有名企業が中心になって開発したソリで勝負を争います。近年アメリカ代表のソリ開発はBMWが支援、イタリア代表はフェラーリが協力しています。下町ボブスレーは東京大田区の町工場が中心になり、世界トップレベルのソリに対抗できる日本製のソリを作り、技術の町「太田」を世界に発信していくために立ち上げられました。誤解されているのは日本代表やジャマイカといったオリンピック用ソリに固執しているわけではなく、既に国内外で9台のボブスレーが走行しています。
■平昌五輪に関してはジャマイカにソリを提供する予定になっていました
2016年1月にジャマイカボブスレー連盟による採用が決定しました。以降、大田区内の100社以上の町工場が無償で部品を供給、ボディは東レ・カーボンマジック社が担当しています。また、開発に必要な空力解析は株式会社ソフトウエアクレイドルと東京大学が協働作業で試行錯誤を重ねプロジェクトを後押ししています。ボブスレー競技に関連した什器や器具、運送用のコンテナ開発なども行われていました。しかし、ご存知のように五輪開催直前にジャマイカボブスレー連盟は「下町ボブスレーは私たちのソリではない」と不採用を一方的に発表します。
例えば、小平奈緒選手や羽生結弦選手がいたとしよう。
オリンピック本番数か月前に、
「何の実績もない企業連合が作ったスケート靴を持ってこられて、それを履いて試合に出るだろうか?」
しかもそこからまた調整するわけでしょ?企業連合が?話にならない。
— ふる(どうでしょう藩士) (@moonkiba) 2018年2月27日
下町ボブスレーの不採用の理由が「ガイアの夜明け」で明らかに
■ジャマイカ代表選手と共同開発してきた経緯
東京大田区で「下町ボブスレー」のプロジェクトが始まったのは7年前です。ボブスレーの競技用ソリを町として製品化することによって、世界に向けて「太田」をアピールしていくことを目的とする試みです。参加する町工場の多くは部品製作で世界トップクラスの技術力を持っています。昨年4月には、ジャマイカ代表のジャズミン選手が大田区を訪れました。アメリカからジャマイカに移籍して女子としてジャマイカ初のボブスレー選手となる彼女から、新型ソリに対する要望をヒアリングするための場が設けられたのです。ジャズミン選手の意見を聞いて、何度も書き直しを行い試行錯誤の末に新型ソリの設計図は出来上がりました。
下町ボブスレーそんなに性能高いのに日本チームに採用されてないのは何故かそこを深掘りした方が良いんじゃね。あっ、スポンサーが同じ伊藤忠だからそれは無理かw #下町ボブスレー #ガイアの夜明け
— くれいん (@x4i4mXcFUyc9wxG) 2018年2月27日
■そして、あまりにの突然の不採用。「下町ボブスレー」に明日はあるのか?
今回の平昌五輪での「下町」不採用に関してはジャマイカボブスレー連盟の『ドタキャン』に問題があるように報道されていましたが、そのベースには日本代表が使用を見送ったことや、2度に渡るレギュレーション違反が影響していると言われています。ラトビアのBTC社と関係の深いコーチが関与したせいでラトビア製に決定した、その比較の過程に問題がある、と言った話が出ていますが、そうしたことも影響した事は間違いないことだとは思います。しかし、一番の問題は実績ある世界レベルの他社のソリに対して「下町ボブスレー」が総合的に劣る評価しか得ていないことでしょう。ジャマイカも勝つために仕方なしに選択したのだと思います。「ガイアの夜明け」のラスト、平昌五輪のボブスレー競技を応援に来た太田区の人たちを見たジャズミン選手が涙しながら「大田区」を口にしたのが印象的でした。ボブスレー用ソリのレベルが我々が考えるよりも、ずっと高いところにあるのかも知れません、日本の町工場の技術が高い事は認めますが「慣れない」ことがすぐに出来はしないでしょう、また機会は来ます。平昌でジャマイカを応援できたのですから、またタッグを組める日がくるのではないでしょうか、ガンバレ下町!ガンバレ、ジャマイカ!。