「Another sky」 で知る舞台俳優としての大杉 漣、見て良かった彼の芝居人生。

引用 映画.com

今晩、アナザ・スカイを見るまでは大杉 漣という人は「映画」のひとでVシネマから出てきたひとだと思っていました。劇団出身だったとは、まったく思ってもいませんでした、そして、アナザ・スカイで「表現者」を語る大杉氏を見て「演劇のひとだったんだ」と実感しました。大杉氏は寺山修司、蜷川幸雄、唐十郎らの芝居を見て影響を受け、当時募集していた太田省吾氏の劇団に研修生として入団し、通っていた明治大学を中退します。そして、太田氏の「沈黙劇」の演者として14年間、舞台に立ち続けたのです。

ご本人が語るように「親分」か「若頭」の姿しか見たことがなかった

■始めて役者として「この人」と確認したのは「ソラチネ」だった

映画への出演は新東宝や日活ロマンポルノの作品だったといいますが、その当時の作品ではお顔を確認できるようなものは見ていません。映画で大杉氏を初めて見たのは「ソラチネ」でした、その後「岸和田愚連隊」「キッズ・リターン」などに出演された姿を、強面の男優さんというイメージで見ていました。昔の東映の大部屋上がりの俳優さん、室田日出夫さん・川谷拓三さん・志賀勝さんといったイメージと重ねていました。ご本人もVシネマの役どころは「親分」か「若頭」だったと語っておられました。

■「映画のひと」ではなく「演劇のひと」だった大杉氏

私にとって「映画」はエンターテインメントで、「演劇」は文学、みたいなイメージがあるのです。演劇って、単に面白いものではなく「何か考えなければいけないもの」と思ってきました。実際、大杉氏もよく見ていたという唐十郎さんですが、福岡では志賀島という博多湾の北部にある島で毎年、公演を行っていました。主催の唐十郎さんは昼間の練習の段階から一升瓶を抱えて砂浜で酔い、夕方のテント公演の時には酒臭い息を光線のように噴射しながら早口な台詞を吐き出すように喋っていました。その世界は、映画にもテレビにもない不思議な世界でした、そんな世界に大杉氏が憧れたのは良く分かる気がします。しかし、それが太田省吾氏の『沈黙劇』だったというのは聞いてびっくりです。

演劇を語る大杉 漣は子供のようであり、最後にギターを抱えて歌う姿は昭和のフォークシンガーを思わせた

■演劇を語るひとがそうであるように大杉氏も「表現者」を語る

大杉氏は「アナザ・スカイ」のなかで『現場に立ち続ける』その重要性を子供のように熱心に話していました。私は”つかこうへい”さんが好きだったのですが、彼が芝居のことを「一回性の美学」だと語っていました、同じ客、同じ演技、同じ空間が存在しない以上、芝居は1回々が真剣勝負であり、一回性の美学の基に成り立っているのだと。恐らく、大杉氏もその世界を知る人間として「現場」を重要視していたのだと思います。なんか演劇とか大上段に構えなくても「芝居」をやってる人の臭いがするのです。番組の最後にギターを抱える大杉氏は昭和のフォークシンガーのようでもありました。

■そういう時代、そういう世界が無くなって「そういう人」も見られなくなっていく

「沈黙劇」、映画で反社会団体の幹部役ばかり演じていた人が演劇人で「沈黙劇」の舞台に立っていたのです。だからこそ、何とも言えない雰囲気を出すことができたのでしょう、その時代、そこで経験したことが後に芽吹いてくるのです。「ソラチネ」のオーディションに来た大杉氏を見て北野監督が「やらせてみよう」と台本にもなかった電話番の役をアドリブで演じさせたのは、きっとそうした背景が感じられたからでしょう。演劇好きの私としては舞台で台詞無しで演技する大杉氏を一度見て見たかったと思います。もっと早くに大杉氏の演劇のことを知りたかったと思いましたが、今晩、そのことを知ることが出来たのも幸いです。そうした目で、もう一度「HANA-BI」でも見てみようと思います。

大杉さんの冥福を心からお祈り申し上げます。

 

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