塀のない松山刑務所からの”逃亡者”平尾龍磨受刑囚は「ゆとり世代」で戒律嫌い。

引用 つぶろぐ

「塀のない刑務所」と聞いた時には災害かなにかで塀が壊れたのかと思いましたが、民間の工場に受刑者が勤務する形での服役があり、なるべく一般社会と近い環境で社会復帰を目指す場所があるそうなのです。勿論、そうした民間人の生活領域に近い収容施設だけに、ここに入れるのは模範囚であり、逃亡可能性の低い受刑者を収容してるそうです。しかし、4月8日午後7時5分頃、愛媛県今治市の松山刑務所大井造船作業場から受刑者が逃走するという、映画のような出来事が起きました。愛媛県警によると、脱走したのは窃盗罪などで服役中の平尾龍磨受刑者(27)、髪は短く、黒っぽいジャージを着ています。

松山刑務所大井造船作業場は意外に知られた刑務所施設なのです。

■松山刑務所は通常の服役施設で平尾受刑者が逃亡したのは「作業場」

今回の舞台となったのは「造船所=作業場」で、通常の受刑者を収容する刑務所とは異なります。『塀のある松山刑務所』は愛媛県東温市見奈良にある694人の受刑者を収容する刑務所で、下部機関に西条刑務所、宇和島拘置支所、大洲拘置支所があります。今回の脱走の舞台となった「大井造船作業場」も松山刑務所の下部機関であり、日本唯一の開放型刑務施設です。大井造船作業場へ行くには審査に合格し、また体力作りの為の訓練にも耐えなければなりません。受刑者は寮で暮らすことになります、寮は「友愛寮」と名付けられ、1961年、当時来島船船渠社長でシベリア抑留を経験した坪内寿夫が松山刑務所の構外泊まり込み作業場として大西工場敷地内に大井作業場を開設したのが始まりです。寮の出入りは自由で部屋にも鍵がなく、刑務所の作業員は大西工場で一般従業員と一緒に作業します。

■「塀がない」ために厳しい規律を持つ作業場

作業所の目的は、受刑者の社会復帰促進です。しかし、周辺の民間施設に近接してあることから、ここでは軍隊以上に厳しい規律生活を送らなければなりまなりません。仕事は一般作業員と共同で行い、資格取得のための勉強をしたり、戒護者を付けず受刑者が自治会を作って受刑者を管理する事で自立精神を育てたりもしています。そのため、炊事、洗濯も受刑者の手によって行わています。号令や点検で大声を出し、些細なミスでも厳しく指導がされる生活です、睡眠時間以外は常に緊張を強いられる厳しさの為、寮を出て「本所に戻る」ことを希望する受刑者もいます。勿論、飲酒・喫煙などは厳しく処罰され、規則違反として本所に不良移送されます。

今回の受刑者逃走について

■事件発生は4月8日、午後6時ごろ

愛媛県警今治署によると、4月8日午後6時ごろから7時ごろにかけて、愛媛県今治市の松山刑務所大井造船作業場から平尾龍磨(27)受刑者がとウソしたと明らかにしました。松山刑務所によると、平尾受刑者は窃盗などの罪で服役しており、昨年12月から同作業場に収容されていました。愛媛県警は9日、逃走容疑で指名手配しています。今治市と瀬戸内しまなみ海道で結ばれている広島県尾道市・向島の尾道大橋付近で、平尾受刑者が使ったとみられる盗難車が見つかり、広島・愛媛両県警が周辺を捜索しています。両県警によると、平尾受刑者は身長約173㎝で痩せ形、黒髪の短髪、黒っぽいジャージ姿で白い運動靴を履いています。8日の午後6時10分ごろ、作業場の防犯カメラに、同受刑者とみられる男が敷地外に走り去っていく姿が写っていました。

■厳しい規律に耐えられなかった平尾受刑者

松山刑務所によると、平尾受刑者は窃盗などの罪で服役していました。昨年12月から同作業所に収容されています、法務省によると、同現場では1961年の開所以降、今回を含めて17件20人の逃走事案があったということです。基本的には模範囚を収容する「大井作業場」、そこから逃走するには、それなりの理由があったはずです。作業所の規律は厳しい事で有名で「ゆとり世代」の平尾受刑者には耐えられなかったのでは、との見方もあります。作業所に入れば資格の取得なども可能で、社会復帰の為には優位な施設なのですが、囚人を優遇するうえで「規律」は欠かせない条件となったのでしょう、せっかく更生のためにと設けた施設が仇となるようでは意味がありません。物理的な『塀』はなくても、心理的な『鎖』を毎日感じていたのかも知れません、罪を償う立場からは仕方のないことかも知れませんが、何らかの改善策が必要とされているのではないでしょうか。

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