颯爽と表舞台から去って行く田村正和、セクハラや改竄で騒ぐ輩に爪の垢を煎じて飲ませたい!

引用 女性自身

発売中の週刊誌で俳優の田村正和さんが「引退宣言」をし、話題となっています。田村氏は周囲のごく一部の人間に引退の意向を告白。田村氏の功績を労う食事会が都内で行われたそうです。週刊誌記者は田村氏の日課である早朝ウォ―キングで田村氏に直撃、「やめてもいいかなと思った」と引退宣言を聞き出しました。引退を考える契機となったのは今年2月にフジテレビで放送された「眠狂四郎 The Final」完成試写を見て「これじゃだめだな」と思った時だそうです。

父は阪東妻三郎、長兄は田村高廣、弟は田村亮、「田村三兄弟」の田村正和

■阪妻(バンツマ)なんて知らない

田村正和さんのお父さんは日本映画界を代表する名優・阪東妻三郎です。大正から昭和にかけてのサイレントムービー時代に活躍した阪東妻三郎は、バンツマの愛称で親しまれ端正な顔立ちと高い演技力を兼ね備えた二枚目俳優として記憶されています。特に25歳で京都太秦に「阪東妻三郎プロダクション」を設立、『雄呂血』などを製作しました、妻三郎はサイレント映画の時代からトーキーの時代まで、俳優または製作者として日本映画界に大きな影響を与えた人です。また、映画黄金期を駆け抜けた人に相応しくその逸話も豪快です「時代劇の王者は何とゆうても阪東妻三郎、女遊びもこの人にはとても及びまへん、散財のケタが違う」と当時、時代劇俳優として肩を並べた嵐勘十郎が語っています。

■社会派が似合う兄の田村高廣

田村正和さんの兄は田村正和さん、同志社大学を卒業後に八重洲で商社サラリーマン生活を送ります。そんな高廣さんが俳優と成ったのはお父さんが残した借金返済の為だったと後に語っています。「美男俳優」として人気の出る弟とは対照的に、その容貌は父妻三郎に似ており、陰影のある役を得意としていました。1960年代に勝新太郎とコンビを組んだ「兵隊やくざ」シリーズでの真面目な有田上等兵役は人気を呼び、代表作の1つとなりました。1981年には「泥の河」に出演、秀逸な演技で高い評価を受けています。

兄とはひとまわり年の違う”二枚目俳優”

■人気が出たのは「眠狂四郎」から

田村正和さんが映画に出演したのは1960年に兄・田村高廣さんが出演した「旗本愚連隊」の撮影現場を見学に行った際に勧められて、同映画に端役で出演したのが最初でした。1961年には松竹大船と専属契約、9月に、成城学園高校在学中に映画「永遠の人」で本格デビューを果たします。以降、多数のテレビドラマ、映画に出演します。しかし、1966年にフリーになってからは「地味で暗い」「声が通らない」などの理由で、わき役ばかりの時代が続きます、そんな田村さんを”茶の間の人気者”にしたのが1972年の『眠り狂四郎』だったのです。

■そして幕引きも「眠狂四郎」

田村正和さんは2016年に松本清張原作の「地方紙を買う女」に出演、以降、表舞台からは離れていました。このため、一時は心臓病説や激ヤセ説まで出ました。しかし昨年「眠狂四郎 The Final」制作発表時に、自身でそれらを否定したことで周辺の製作スタッフやオールドファンは安心しました。ところが田村さんは試写を見て「これじゃ、ダメだな」と自身でダメ出しをされました。実は撮影時には立ち回りにキレがない、台詞が聞き取りにくいと言った声があったのを関係者が抑え込んでいたのです。田村さんが自ら引退の意志を示したことに、制作関係者は悲しみと同時に安堵感を感じています。しかし、潔い田村さんの引退は、まさに「昭和の名優」と呼ぶに相応しいものです。プロとはこうあってもらいたいものです。

 

 

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