
引用 ざぶん賞
井上堯之さんが2018年5月2日に亡くなりました、77歳でした。奇しくも井上さんが公共の場に姿を見せたのは1年前の2017年5月2日に開かれた、スパイダースの同僚・かまやつひろしさんのお別れの会でした。井上さんはスパイダースが解散すると、沢田研二さんのバックバンドとして活動したり、同時期に井上堯之バンドを率いるなど、1970年代の音楽シーンで多彩な活躍をしました。「太陽にほえろ」「傷だらけの天使」のバックグラウンドミュージックは、あまりにも有名です。
そうそう読み方がよくわからない「堯之」名前でした
■なんといっても「傷だらけの天使」
井上堯之さんが活躍した時代、私はまだ小学校低学年だったのではないかと思います。「太陽にほえろ」は放送時に見ていましたが「傷だらけの天使」は放送時には見せてもらえませんでした、しばらくして再放送を見ました。オープニングでゴーグルを外して目覚める萩原健一さんのバックに流れていたのが井上堯之バンドの傷だらけの天使のテーマでした。萩原健一さんが「カッコ良かった」のですが、それはバックで井上さんの音楽が流れていたからからだと思います、軽快な音楽に乗ってコンビーフ、ソーセージを食べ牛乳を飲む萩原健一さん、忘れられない番組の冒頭シーンでありテーマ曲です。これまでで一番印象深いテレビ番組を上げろと言われれば、それは「傷だらけの天使」です。
■スパイダースは知らないけど井上堯之バンドは知っている
スパイダースに代表されるGSブームは私らの親の世代であり、その記憶はほとんどありません。しかし「井上堯之」バンドは知って言います、いまだに「タカユキ」と読むのには抵抗がありますが、読みにくい名前だけに覚えていたのだと思います。沢田研二さんのバックバンドや宇崎竜童さんと組んでのバンド活動、渋い音楽おやじのイメージです。事実、彼が関わったミュージシャンは「カッコいい」人が多い。井上さんは1962年にザ・スパイダースに参加、ボーカルとギターを担当しました。1969年には沢田研二さん、萩原健一さんらとPYGを結成、翌年に自身の名前を冠にした「井上堯之バンド」を結成しました。
井上堯之さんは、沢田研二のバックバンド「井上堯之バンド」の活動等で有名ですが、長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』の音楽も後世に残る素晴らしい仕事です。映画中の「YAMASHITA」という曲は、庵野秀明総監督の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』でも使用されました。『太陽』のサントラは必聴です。 pic.twitter.com/D56P85obqK
— 中井寛一 (@ichikawakon) 2018年5月4日
筋金入りのミュージシャン、その職人魂が熱い
■音楽活動が思うようにできなくなった2009年に引退
井上さんは2009年1月6日、公式サイトにおいてミュージシャンとしての現役活動から引退することを表明しました。引退の理由は「音楽活動が思ったようにできないこと」でした。さらに最近になって肺気腫を罹患し、今後の活動が困難になるだろうことが理由とも報道されています。引退からしばらくは北海道小樽市に転住して、現地のリハビリ施設に通いながらボランティア勤務も行っていました。表面的には隠遁生活であったものの、機会があれば「ソロライブ」「童謡アルバムの発表」などの活動を続け、2016年には最新技術の波動録音方式によって、過去の楽曲を新録「The Guiter」を発表、引退後も精力的な活動を続けていました。
井上堯之さんが天国へ逝ってしまった。俺たちの世代にとって尭之さんのギターは特別なものだった。ショーケン、ジュリーに憧れ尭之さんに辿り着き、PYGは今でも語り継がれる素晴らしいサウンドを残している。
嗚呼、「時の過ぎゆくままに」のギターが頭の中にリフレインする…
ご冥福をお祈りします。 https://t.co/tHr8QYgZgY— diamondyukai (@diamondyukai) 2018年5月5日
■井上堯之は亡くなっても、演奏したその曲は永遠に不滅です
所属事務所によると、井上さんの生前の意思から葬儀などは密葬で行うそうです。都内の斎場で5日に通夜、6日が葬儀となっています。今夜は「傷だらけの天使」のテーマを聞きながらバーボンを飲んで井上さんを偲びたいと思います、井上さんの音楽が無ければ「太陽にほえろ」の石原裕次郎や松田優作は、カッコ良く活躍できてないでしょうし、「傷だらけの天使」の萩原健一と水谷豊も、私の記憶に深く残ることはなかったでしょう。ありがとう井上堯之さん、安らかにお眠りください。