武田鉄矢を嫌う中原昌也、小説での武田批判が面白すぎて笑える

引用 デイリースポーツ

武田鉄矢さんと言えば“金八先生”ですが、彼がクイズ番組やバラエティに出て蘊蓄を語る時「やっぱり金八先生だ」と思っている人は、作られた虚像に迷わされるタイプの人たちです。武田さんは確かに福岡教育大学という教育者を育成する大学を卒業されていますが、学校の先生を経験してからタレントになったわけではありません。事実、彼が俳優として活躍する以前、海援隊として音楽活動をしていた頃の動機は「モテたいから」という単純なものでした。また、海援隊以前にはヘビーメタルをやっていたそうです、現在のルックスからは想像もつきません。福岡の人間からすると、よく福岡にいる「目立ちがり屋」な人です。その武田さんが音楽や小説でマルチに活躍する中原昌也さんから、小説の中で激しい罵倒を受けています。どうして武田さんは嫌われたのでしょう?

マルチ作家中原昌也が武田鉄矢を嫌悪

■武田鉄矢は中原の小説の中に唐突に現れる

武田さんを嫌悪する表現が載せられたのは「文藝」2018年夏季号に掲載された中原昌也さんの短編小説「あの農場には二度と」です。この小説の本編は、武田鉄矢さんとは何の関係もありません。日々の不毛な仕事に疲れた『私』が馬との触れ合いを求めて人里離れた場所に出かけるところから話は始まります。武田鉄矢さんが登場するのは物語の終盤、馬の所有者が「武田」という名前であることがわかると“あのタレントの武田鉄矢そっくりに思えてきた”と書かれているところからです。

■語り手の「わたし」が本編から脱線して武田批判を

小説の「わたし」が本編から脱線して武田鉄矢さんに関して語るくだりは次のような内容です。

私は芸能人の武田鉄矢という男に対して、相当な偏見を持っており、直接何かをされたわけでもないのに印象はとてつもなく強烈に悪い。あの男の声を聞くのも不快なので、テレビに登場すれば、即チャンネルを変える。もし鉄矢の身の上に何か困ったことが起きても、何もしてやらないし、話も聞いてやらない。もし鉄矢が河で溺れているところを偶然に通りかかっても、絶対に見て見ぬ振り。怪我して倒れていても、救急車を呼ぶこともない。小さな鉄矢が必死にゴミ箱の中から這い上がろうとしたならば、そっとフタをを閉め、その上に重い物を載せて立ち去る。近所の壁に鉄矢の似顔絵が大きく描かれていれば、自腹で洗剤や掃除道具などを買い込み、必死で消す。買う金がなければ、小便をかけて消す。

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やっぱ、感性鋭き人が見ると「嫌悪」の対象なのでしょう

■中原が武田をディするのは安倍応援派、ネトウヨの話があるが・・・

中原さんが武田さんを嫌う理由は、嫌韓・嫌中を肯定的に評価したり、韓国や中国を事あるごとのヘイトする姿勢や、安倍政権に対して好意的な発言をしていることに起因していると言われていますが、果たしてそうなのでしょうか?昔から武田さんの活動を見てきた世代の方はお分かりだと思いますが、武田さんは「誰かを演じる」のではなく「誰かを武田にする」ことで俳優をこなしてきたのです。刑事やプロゴルファーのキャラクターとして武田さんが相応しいと思いますか?誰もがイメージするキャラではなく、そのイメージを「武田もありだな」と強引に納得させてきたのです。しかし「金八先生」に関しては原作の小山内美江子先生のイメージに近かった、その結果。武田さんのイメージが金八と重なったのです、中原さんが嫌うのは、武田さんの大衆迎合的なやり方なのではないかと思います。嫌韓・嫌中や安倍内閣寄りの姿勢は、自己の考えよりも「こっちの方がウケがいい」と言う判断なのです。そのあざとさが中原さんの感情を逆なでしているのではないでしょうか。

■博多の人ではなく「北部九州」の人は”あんな”感じ

中原さんは1970年の東京生まれ、それに対して武田さんは1949年に福岡で生まれています。育った環境と世代の違いは、どうしようもありません。私に言わせれば「北部九州のオッサンはあんな感じ」なのです、ご本人に悪気がある訳ではないのですが、自己中心的な発想でものを言うのは「北部九州的」です。なぜ『博多』と言わないかと言うと、武田さんだけではなく、純粋に『博多』出身の芸能人は少ないのです。松田聖子さんは久留米、チェッカーズの藤井郁弥さんも久留米の近く、武田さんのプロフィールには”博多区”と書いたものがありますが、市内であっても博多区ではなかったはずです。まあ、純粋な博多出身かどうかは大きな問題ではありませんが、北部九州と言えば高倉健さんに象徴される土地柄です。健さんが多くのヤクザ映画に出演した後、「八甲田山」や「海峡」などに出演したのは、ヤクザ俳優のキャラを抜けて自分の思う高倉健を演じて見たかったのです。立ち位置は違いますが、武田さんのこれまでも同じような経緯ではないかと推測します、また、武田さんが俳優として出演した第一作が健さんの「黄色いハンカチ」だったのも何かの縁だったのだと思います。ただ、中原さんが嫌悪するのは、武田さんの目指すところが大衆ウケを狙らいだからではないでしょうか。健さんは自分の納得の為に、武田さんは自身の評価の為に、ここが大きな違いなのだと思います。中原さんの文章は面白いのですが、あまり北部九州のオッサンをイジメないでください。だいたい、みんな”あんな感じ”です。

 

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