「人はモノじゃない」赤ちゃん遺体頭部にレジ袋。あまりに酷すぎる葬儀社の対応、両親が葬儀社を提訴。

引用 サンケイニュース

兵庫県丹波市で昨年10月に急逝した生後5ヶ月の男児が司法解剖の後、コンビニのレジ袋を被せられていた問題で、男児の両親が21日、兵庫県警の委託で遺体を修復した神戸市中央区の葬儀社「平安」に対し、精神的苦痛を受けたとして慰謝料など約220万円を求める訴訟を神戸地裁に起こしましました。この問題が公になったのは昨年末のことでした、2017年10月に死亡した男児を警察が司法解剖後に遺族に引き渡した際、頭部にレジ袋が被せてあったことが12月13日に明らかになります。同社は体液が漏れるのを防ぐためにレジ袋を使用したといいます、同社は当時のマスコミに取材に対し「お答えすることはない」と回答、県警は「再発防止に努める」としていました。こうした問題が、その場限りで処理されてしまうのは大きな問題です。今回、ご両親が葬儀社を訴えたことは大きな意義があります。

多死社会の問題が増加している

■変えてはならない価値観を知っておくべき

今回の問題の背景には葬儀社における”ご遺体”に対する価値観の変化があると思います。もし、葬儀社側に遺体に対する配慮があったならレジ袋を使うなどということはなかったはずです。最近は「多死社会」と呼ばれるように高齢化社会に伴い亡くなる人も増加、火葬場がすぐに使用できず、遺体と共に火葬を待つ「遺体ホテル」なども出てきています。こうした状況から葬儀社の業務が多忙であることは容易に推測できるのですが、遺体を扱う専門会社として葬儀社がある以上「誰よりも遺体に敬意を払う」ことが葬儀社の義務ではないでしょうか、どんなに時代が変わっても変えてはならない価値観があると思います。

■レジ袋を見た時の両親の驚き

もし自分の親族が亡くなって、その遺体にレジ袋が被せてあったらどう感じるでしょう。今回、訴えを起こした北野さんは「精神的苦痛」を受けたとしていますが、苦痛以上に『怒り』を覚えたのではないでしょうか、何故、自分の息子は死んで粗略に扱われるのか、わずかに5ヵ月しかこの世にいられなかった我が子に対しての思いは、亡くなったことに対してだけでも大きかったはずです。それに加えて”レジ袋”北野さん夫妻が語るように金銭が欲しいのではなく、今後、こうした思いをするひとを無くしたいと考えたのだと思います。葬儀社の人にとって、人は死ねばモノなのですか?そんなことはありません、こんなことはごく一部のことであってほしいですし、すべての葬儀社の方は”ご遺体”に十分な配慮を払っていると信じます。

介護問題が深刻化するように「多死社会」が問題となっていく

■団塊の世代が終焉を迎えることで「多死社会」がやってくる

「2025年問題」をご存知でしょうか、団塊の世代が一斉に75歳以上の後期高齢者に突入し、医療と介護の両方を必要とする人が急増するからです。しかし問題はそれだけではなく「多死社会」の到来と言われています。現在約120万人の年間死亡者が、2025年には約160万人と予測されているからです。少子高齢化社会では急増する後期高齢者の受け入れのために医療施設の整備は考えられません、団塊の世代が去った後には、それらは不要になり負の遺産となってしまうからです。しかし、新たな施設がなければ死に向かう多くの人たちが最期を過ごす場所がありません、「死に場所難民」の大量出現も予測されています。そして、その先にやって来る「亡くなった」際の問題があるのです、現在でも「火葬場渋滞」と呼ばれる火葬場を待つような状況が既に出ています。

■だからと言って雑な対応が認められることはない

今回、幼い遺体にレジ袋を使用した葬儀社の方は、この遺体は「モノ」にしか見えていなかったのでしょう。忙しかったのかも知れません、いつも使っているビニールが無くてレジ袋を使ったのかもしれません、しかし、どんな言い訳も両親の前では意味は持たないのです。自分の子供を粗略に扱ったことへの「怒り」が収まるはずがありません。大変な時代がやってきます、高齢者が増え介護や葬儀に関わる方たちは業務が増え、サービスが思うようにできないかも知れません。受け入れる側も「仕方ない」と思わざる得ない時代なのかもしれません、しかし、私たちは手を取り合ってこの難局を超えていくのです、諦めては人間としての尊厳を守ることはできません。最後を依頼する方も、受け入れる側も相互に協力していく時代が来たのだと思います。

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