冤罪となるのか「袴田事件」、東京高裁は再審開始認めず。弁護側、最高裁に特別抗告か!

 

引用 日本経済新聞

1966年に起きた「袴田事件」で死刑が確定し、2014年の静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田厳元被告(82歳)の即時抗告審で、東京最高裁判所は6月11日、地裁決定を取り消し、再審請求を棄却しました。静岡地裁の決定の決め手となったDNA鑑定は「種々の疑問があり、信用できない」としました。弁護側は高裁決定を不服とし、最高裁に特別抗告する可能性が高いと思われます。

「袴田事件」とはどういう事件だったのでしょう

■静岡県で発生した一家惨殺の強盗殺人放火事件

1966年6月30日「有限会社こがね味噌橋本藤作商店」専務の自宅が放火され、焼け跡から専務(41歳)、妻(38歳)、次女(17歳)、長男(14歳)の計4人の他殺死体が発見されました。一家の中では別棟に寝ていた長女(19歳)だけが生き残りました。1966年7月4日、静岡県清水警察署は味噌製造工場および工場内従業員寮を捜索、当時「王こがね味噌」の従業員で元プロボクサーの袴田巌氏の部屋から極微量の血痕が付着したパジャマを押収します。1966年8月16日、静岡県警察が袴田氏を強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕します。

■66回200時間を超える取り調べ

袴田氏への取り調べは逮捕された翌日1966年8月18日から始まり9月6日まで、1日10時間を超える取り調べが繰り返されました。9月6日、拘留期限の3日前に袴田氏は自白、9月9日に静岡地検が強盗殺人罪、放火罪、窃盗罪で起訴します。しかし11月15日には静岡地裁の第一回公判で袴田氏が起訴事実を全面否認、以降一貫して無実を主張しました。この後味噌製造工場の味噌タンク内から血染めの「5点の衣類」が発見されます。1968年9月11日静岡地裁が死刑判決、1976年5月18日東京高裁が控訴を棄却、1980年11月19日最高裁が上告を棄却、1980年12月12日死刑確定。

弁護団は2008年に第二次再審請求を申し立て

■新たなDNA鑑定の結果、根幹の証拠が揺らぐ

第二次再審請求申し立てによる、5点の衣類の血痕のDNA鑑定が行われた結果、袴田氏のDNAと一致しないことが判明しました。唯一の物的証拠の根幹が揺らいだことから、14年3月27日、静岡地裁は再審開始を決定しました。裁判長は「証拠捏造の疑いがある」と捜査機関を厳しく非難、刑の執行・拘置の停止と言う異例の決定も下し、袴田氏は同日、東京拘置所から釈放されました。これに対し検察側は即時抗告を行い、地裁の判決に不服を申し立てていました。今回、東京高裁は静岡地裁の決定を取り消し、再審開始を認めない決定を下しました。元被告の年齢などを考慮、死刑と拘置の執行停止は取り消しませんでした。弁護団は高裁決定を不服とし、最高裁に特別抗告する方針です。

■「もう、時間がない」何が真実なのか?正義はどこにあるのか?

今回の再審開始を認めない判決に関して、大島裁判長は筑波大の本多克也教授によるDNA鑑定について「確立した化学的手法とはいえず、信頼性に難がある」と指摘。「鑑定の結論の信憑性は乏しいと言わざるを得ない」として、無罪につながる新証拠には当たらないと結論付けました。東京高裁は静岡地裁が「警察の捏造」とほぼ断定していた5点の衣料に関しても「犯行時の着衣がパジャマであるとの自白を得た捜査機関が、それと矛盾するような5点の衣料を捏造するとは考えにくい」とし、捏造を示す明らかな証拠はないとしました。しかし、鑑定以前に、この5点の中のズボンはサイズが小さく、袴田氏がはけないことが確認されています、また、血痕の量もズボンよりも内側にあった股引の方が多いなど、客観的に見て不自然なものがあります。「疑わしきは罰せず」ではないのでしょうか、何よりも袴田氏は30歳で逮捕され、45年以上にわたり東京拘置所に収監拘束され「世界最長収監」の記録としてギネスに認定されるほど、長期間“収監”されてきたのです。罪があったとして、それだけでも十分に償える期間を拘置所で過ごしているのです、これが『冤罪』であった場合、いったい誰が、どうやって袴田氏に償うのでしょう?だから「再審」は認めないのですか?正義はどこにいったのでしょう。

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