都市伝説「死にたくなるライブ」出演者のひとり森田童子死去、残された山崎ハコと中島みゆき。

引用 朝日新聞デジタル

来年になれば「昭和」は二時代前になってしまいます。そんな「昭和」にしか存在しなかった世界があります。フォークと呼ばれた音楽ジャンルもそのひとつかも知れません、アメリカのフォークソングでもなく、独特の世界観がありました。その中でも、さらに独特な曲を歌う人たちがいました。その当時、都市伝説で3人の女性フォークシンガーがいっしょにライブを開くと“自殺する観客が大量に出る”と言われていました。中島みゆきさん、山崎ハコさん、森田童子さんがその3人の女性シンガーです。

「暗い」とか、そういう表現では終われない何かがあった

■森田童子と劇団「黒色テント」

昭和の時代、フォークソングと共に若者の表現の世界とされたのが「小劇場」でした。亡くなられた森田さんは、東京を拠点に演劇活動を行っていた『黒テント』で講演を行うこともありました。当時のポスターを見ると“女性”なのかアフロの男性なのか、わからないような内容です。タイトルは「夜行」、客に媚びることもなく、何かに傾倒するでもなく、儲けすら考えていなかったと言います。当時はアングラ、「アンダーグラウンド」の全盛期でした、マイナーであることが逆に注目を集めていたのかも知れません。

■1993年「高校教師」で“ぼくたちの失敗”が主題歌に

広く知られることを自身が望んでいなかった森田さん、その存在が全国に知られたのは、1993年にTBS系で放送された「高校教師」です、森田さんの『ぼくたちの失敗』が主題曲として流されたのです。この番組の脚本を手掛けた野島伸司が森田さんのライブを見たことがあり、曲の採用を提案したと言われています。教師と生徒の禁断の恋愛ストーリー、そのハッピーでは終われない背景には森田さんの歌の世界観が必要だったのでしょう。番組中では他に「男のくせに泣いてくれた」「G線上にひとり」「ぼくが君の思い出になってあげよう」「君と淋しい風になる」「君は変わっちゃたネ」などが挿入歌として使われました。

森田童子は2018年4月24日に亡くなった

■森田童子の死について

後になって申し訳ないです。森田童子さんは2018年4月24日にお亡くなりになられました。森田さんの死はJASRACの会報で明らかになりました。その詳細に関してはわかっていません。しかし、森田さんのファンからは「森田童子らしい終焉だ」といった声が多く寄せられています。ファンに媚びることもなく、私生活に関してもほとんど知られていなかった森田さんらしい幕引きです。恐らく、1970年代の「森田童子」はそこにしか存在しておらず、そのことを一番知っていた彼女自身は、アングラに徹しようとしていたのだと思います。

■同時代の山崎ハコ、中島みゆきを聞いてほしい

森田さんの活動全盛期にメジャー系で活動したのが山崎ハコさんと中島みゆきさんでした。
冒頭に都市伝説の話を書きましたが、この当時の暗い歌としては山崎ハコさんの「呪い」、中島みゆきさんの「うらみ・ます」は強烈な印象です。森田さんの楽曲は曲調が暗く、歌詞も低トーンなのですが、「呪い」も「うらみ・ます」も現在ではとても受け入れられない直接的な歌詞です。こうした表現が出来たのも『昭和』という時代、フォークという世界観があったからです。早期に活動を停止し、限られた楽曲しか残っていない森田童子さんですが、その曲の持つインパクトはいつの時代にあっても変わらないものです。ご冥福をお祈りいたします。

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