今はもう「仁義なき戦い」ではなく「アウトレイジ」な時代なのか、名悪役・名和宏さん逝く。

引用 仁義なき戦い

だいぶ昔になりますが東映京都撮影所製作のヤクザ映画や時代劇を中心に名前が登場しないわき役・切られ役として出演していた大部屋俳優が集まった飲み会で「ピラニア会」という、ちょい出の悪役俳優で「飲み仲間」の会を立ち上げました。これが、当時話題となり室田日出夫、小林稔侍、片桐竜次、成瀬正孝、志賀勝、川谷拓三、らが参加してブームになったことがあります。1970年代中ごろに盛り上がりました、この集団の周辺には「村民」と呼ばれた製作スタッフ(中島貞夫、深作欣二、倉本聰他)もいて、メンバーは『仁義なき戦い』やTVドラマ「前略おふくろ様」などに出演していました。こうした、悪役の集団活動に参加せず、一匹オオカミで「悪役」を演じている男がいました。人は彼のことを「名悪役」とか「悪代官」と呼びますが、今の映画・テレビの世界ではお目にかかれない貴重な俳優さんでした。

素顔は知的で温厚な人柄

■出身は熊本、実家は能の家元。最初は日活から「正統派」で売り出す

名和さんは熊本県熊本市の出身。実家は能の金春流で、20歳になるまで能楽を学んだそうです。熊本高等学校から熊本大学の法学部に進学しますが、中退し日本大学芸術学部に移り、同校を卒業します。1954年に、日活に入社し俳優デビューします、当時は石原裕次郎さんが日活のオーディションで落ちていますが、名和さんを売り出し中だった日活が石原さんを取らなかったという話もあります。入社後は「若いお巡りさん」「地底の歌」「怪傑耶茶坊」など、複数の主演作があります。

■なんといっても「仁義なき戦い」

1956年、日活に在籍中に故石原裕次郎さんと共演しました。1957年には松竹に移籍、63年以降はフリーとして活躍、名脇役として映画、テレビで多くの作品に出演しました。特にヤクザ路線で一時代を築いた東映作品とは相性が良く、「ピラニア軍団」の村民だった深作欣二監督、石井輝男監督、鈴木則文監督といった娯楽映画の巨匠たちの作品には欠かせない存在でした。中でも“仁義なき戦いシリーズ”での村岡組長役は、はまり役でした。『広島死闘篇』『代理戦争』、菅原文太、松方弘樹、渡瀬恒彦、金子信雄、梅宮辰夫、田中邦衛、千葉真一、当時の有名俳優がこぞって出演した「仁義なきシリーズ」、名和さんの存在がなければ、スパイスの欠けた作品となっていたでしょう。

映画だけではなくテレビドラマでも活躍

■勧善懲悪は『悪』あってこそ

テレビの長寿シリーズと言えば「水戸黄門」でしたが、水戸黄門に必要な3要素をご存知でしょうか?黄門様と印籠は必須①、助さんと角さん②、そして「悪~く」見える悪役③『悪代官』と言う言葉が定着したのは、このドラマからと言っていいでしょう。そんな国民的時代劇において欠くことのできない『悪代官』を演じたのが名和さんでした。彼は、映画だけではなくテレビドラマにも出演、脇役として多くのテレビドラマで悪役を演じていました。「水戸黄門」「桃太郎侍」「江戸を斬る」「暴れん坊将軍」等々、名和さんはレギュラー出演はなく、ポイント的に悪役として出演するだけでしたが、その存在感は大きなものがありました。

■だんだんと寂しくなっていきます

名和宏さんは25日に体調不良を訴え、搬送先の病院で腎不全のために85歳で亡くなりました。眠るような最後だったそうです。2000年以降は舞台を中心に活躍していました。昔活躍した俳優さんが亡くなると「寂しさ」を感じます、彼らは映画の中では「今でも若く」広島の呉市で勢力争いを繰り広げるヤクザの組長だったり、時代劇では民を泣かせる悪代官だったりします。でも、もう新しい作品を見ることはできないのです、こんな時、多くの仕事をされた俳優さんは「沢山の作品」を残しているので、作品を見て感傷に浸る時間は十分にあります。でも、寂しくなっていきます。恐らく名和さん以上の『悪代官』は出てこないでしょう。

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