北部九州豪雨から1年、被災地の現状を憂う。過疎化、集落の壊滅が問題。

引用 毎日新聞

2017年7月5日午後、福岡県筑後地方北部で次々と積乱雲が発生し、発達しながら東へと移動して線状降水帯が形成されました。このため同じ場所で猛烈な雨が長時間降り続きました。福岡県朝倉市、うきは市、久留米市、東峰村、佐賀県鳥栖市、大分県日田市などで1時間に100㎜を超える雨量が観測され、特に朝倉市付近では3時間で約400㎜、12時間で約900㎜の雨量が観測されました。気象庁以外が管轄する雨量計では、朝倉市寺内で5日15時20分までの1時間降水量169㎜を観測。また朝倉市黒川の雨量計では5日20時50分までの9時間に778㎜を観測するなど、その降水強度は激烈なものでした。1時間の値は1982年の長崎大水害の187㎜に迫り、9時間の値は平成25年の台風第26号において伊豆大島で観測された789.5㎜n匹敵するなど、朝倉市の山間部では局地的に9時間にわたり、気象観測史上でも最大級の集中豪雨となりました。後に、九州北部豪雨と呼ばれる大水害です。

降水量ではわからない凄まじい豪雨の状況

■ある山間部の食堂からの動画

降り始めから激烈な雨量を計測した豪雨は、かつてない状況を生み出しました。私はPCで急激に検索数が伸びていく「甘木・朝倉」の文字を不思議に思いながら見ていました。検索数が伸びている原因がわからなかったのです、しかし、すぐに短時間大雨警報が出ていることがわかり、現地の情報を集めようとした際、家内からツイッターにアップされた動画を見るように電話を受けました。そこには山間部で田舎料理を提供する飲食店が映し出されていました、従業員の女性が撮影しているようでした。店は山の傾斜地に建てられており、降りきったところに川が流れていました、何度かお世話になったことのある店舗だったのです。その店の裏手の山から大量の水が押し寄せる様子、下部の川から溢れ出た水が押し寄せる様子、女性は「助けにきてください」と救助を求めていました。

■救助が来るまでに丸1日が必要だった

飲食店のその後に関しては、関係者から電話で顛末を聞きました。同店は山間部の中腹にあったため登り下り、双方の退路を土砂崩れで失っていたそうです。店舗の方たちは車の中で1日を過ごし救助を待ったようです、雨が小康状態になって自衛隊が動き出し、救助されました。話によると川でもない場所から大量の水が流れ出てきて、あっと言う間に食堂の床に溜まっていったそうです。この場所は、山間部でも中間の地域だったため水が流れ落ちていく感じで、被害そのものは少なかったとのことです。しかし、それでも復旧までは約半年を要する被害でした。ニュースで甚大な被害が報告されていたのは、山を降りきった麓の地域になります。流れ落ちた大量の雨水が山を壊し、杉の巨木を抱えて下方に流れ落ちて行ったのです。現地を知らなけらば信じられないことですが、通常は「川」と呼べるような水量のない水路のようなところを龍のように大量の水と土砂と杉が駆け下っていったのです。

復旧復興と言うけれども「人の生活」は元には戻れない

■かつてない甚大な被害

9月に入ってまとめられた消防庁による発表によると、福岡県で34人(朝倉市で31人、東峰村で3人)、大分県日田市で3人の合計37人の死亡が確認されています。また福岡県朝倉市で4人が行方不明になっています。住宅被害は、福岡県と大分県の合計で、全壊288棟、半壊1079棟、一部破損44棟、床上浸水173棟、床下浸水1383棟となっています。これらの被害のほとんどが水害によって家屋を損傷するなど考えられないような場所にあったのです。福岡、大分県境の山間部は壊滅的な打撃を受けました。林野庁によると、約1000ヵ所以上で土砂崩れが発生、中小河川は短時間で氾濫し、住民の孤立が相次ぎました。今なお約1100人が避難生活を続け、山間集落は過疎化も重なって存続が危ぶまれています。

■住民の大半は戻って来ない、失われる集落

被害が集中したのは筑後川支流域の福岡県朝倉市と東峰村、大分県日田市です。約1千万立法メートルの土砂と、約20万トンの流木が、濁流となって一気に押し寄せました。最終的な死者は関連死を含めて40人、なかには有明海まで流されて発見された例もありました、朝倉市では未だに2人が行方不明のままです。河川などの応急復旧は一定のめどがついたものの、山間部の集落は重機が入れず、被災家屋の解体が手つかずの場所もあります。人口の流出も深刻です、朝倉市の松末地区は約700人の住民がいましたが、戻ったのは4割程度です。ニュース映像で頻繁に流された住宅二階部に杉の巨木が突き刺さっていた住居のある地区です。住民の多くは高齢者で、農業に従事する井上昭明さん(67)は「このままでは集落から誰もいなくなる」と心配しています。朝倉市の5地区約70世帯は被災者生活再建支援法に基づく「長期非難世帯」の認定に合意しました。住民は支援金を受け取る代わりに、安全が確保されるまでは元の地区での居住ができず、解除には数年がかかる見通しとなっています。しかし、元々過疎化が進行していた地区が多く、松末地区のように解除になっても戻って来る人がいないことも考えられます。地域の復興復旧というのは「生活」が戻ることをいうのなら、復興できずに集落が失われていく可能性が高いと言わざるを得ません。この災害を機に、過疎集落の住民を新しい開発地域に集めて地域復興を目指すなどの新しい行政での対策が必要とされています。生活は住む場所だけではなく、働く場所や教育の場など多面的な検討が必要となります、大きな枠の中で復興政策を検討いただき、地域の住民の生活を考えていただきたいと思います。そのための1年目の振り返りではないでしょうか。「がんばれ、甘木・朝倉‼」。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA