日本映画の宝、橋本忍100年の人生に幕を下ろす「もう1本見たかった!」

引用 読売新聞

黒沢明監督の作品8作品の脚本をはじめ、「日本沈没」「砂の器」「八甲田山」など、日本映画史に残る名作やヒット作を数多く手掛けた脚本家の橋本忍さんが7月19日午前9時26分、東京都世田谷区の自宅で死去しました。100歳でした、葬儀は近親者のみで行われ、喪主は長女の綾さんです。死因は気管支拡張症による肺炎とされています、お別れの会は開かれることになっていますが、日取りなどは未定です。

日本映画の歴史と共に歩んだ脚本家

■黒澤明監督に見いだされて脚本家デビュー

橋本さんは兵庫県の出身。結核療養中に症疾軍人岡山療養所で脚本家を志し、監督・脚本家の伊丹万作氏に師事して脚本を学びました。まだ本格的な脚本家デビュー前に書いた「
藪の中」が黒沢明監督の目にとまり、1950年公開の「羅生門」で脚本家デビューを果たします。以降、黒沢組で「生きる」「七人の侍」など8作品に脚本家として参加しました。

■自分の製作プロダクションを創立

昭和48年には橋本プロダクションを設立。製作者、脚本家として「砂の器」「八甲田山」などの日本映画史に残る大ヒット作を次々に送りだしました。「八甲田山」は当時の日本映画における興行記録を塗り替えました。他に、松本清張氏原作の「張込み」「日本のいちばん長い日」「日本沈没」など、手掛けた映画の脚本は数十本に及びます。

橋本プロダクション製作の作品はトップランクの邦画だった

■第一回製作作品「砂の器」

橋本さん自身で設立した“橋本プロダクション”で製作された作品には特に思い出深いものがあります。先般、主役の和賀英良を演じられた加藤剛さんが亡くなられましたが、橋本プロダクションの第一回作品は松竹と提携して製作された「砂の器」でした。原作の松本清張氏が「原作を超えた」と評価した日本映画の金字塔です。製作、脚本に橋本さんは携わり、監督は野村芳太郎さんでした。日本映画では3本の指に入る名作ではないでしょうか。

■第二回製作作品「八甲田山」
橋本プロダクションの第二作目は高倉健さん主演の「八甲田山」でした。この作品で、高倉健さんはヤクザ映画からのイメージを脱して新しい世界に入っていきます。3年に及ぶ撮影期間中、高倉健さんは愛車ベンツSLとマンションを売って撮影に集中したと言われています。当初は群馬県の温泉地を撮影地として考えていた橋本さんは共同制作の野村芳太郎さんから「空気が映る」と言われ、八甲田をロケ地としました。そして本作は実際に真冬の八甲田でロケを敢行、日本映画史上類を見ない過酷なロケとして有名になりました。当初は「兵隊が死ぬだけ」の映画なのにヒットなどあり得ないと陰口を叩かれていました、しかし、公開後は配給収入25億900万円で、1977年の日本映画第一位を記録しました。

■第三回製作作品「幻の湖」

そして東宝創立50周年記念映画、橋本プロダクション第三作として製作されたのが「幻の湖」でした。この作品は興行不振により、公開から2週間と5日で打ち切りとなってしまいました。このため、本作を知らない橋本ファンも多く、本当の意味で“幻”の作品と言えるかもしれません。「ネオ・サスペンス」と称して製作されましたが、雄琴のソープランド嬢が愛犬を殺され、その復讐を果たすまでの物語なのですが、戦国時代やスペースシャトルが登場し、非常に難解なストーリー展開となっています。現在では、日本のカルトムービーとして愛好者も多いようですが、橋本さんは公開後しばらくして「失敗だった」と語っています。天才肌の脚本家と思われている橋本さんに、こんな作品があったことが面白いと思いませんか、DVDも発売されています。ぜひ、ご覧ください。

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