終戦記念日は8月15日で良いのか?沖縄では、北海道では、もっと真実を伝えよう!

引用 NHK

73回目の終戦記念日となる8月15日、日本政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれました。天皇、皇后両陛下や安倍晋三首相、遺族ら合計約7,000人が参列しました。日中戦争と太平洋戦争で犠牲となった310万人を悼み、平和を誓いました。来年4月末に退位を控えた天皇陛下と皇后さまにとっては最後の出席となりました。日本国政府としては8月15日を「終戦記念日」としていますが、沖縄本島では激戦が行われ実質的に太平洋戦争が終結したのは6月、北海道北方の諸島では8月15日以降にロシア軍が攻め入ってきて戦闘が行われました、日本にとっての本当の『終戦』はいつだったのでしょうか?

沖縄では「慰霊の日」が実質的な終戦記念日となっている

■沖縄県民にとっては6月23日は特別な日であり「記念日」

1945年6月23日に沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなんで、アメリカ施政権下の琉球政府及び沖縄県が定めた記念日です。復帰前は、住民の祝祭日に関する立法に基づく公休日とされていました。1972年の本土復帰後は日本の法律が適用となり、慰霊の日はその法的根拠を失いました。しかし、1974年に沖縄県および沖縄県内の市町村が地方自治法4条の2第2項3号に基づき各休日条例により慰霊の日をそれぞれの機関の休日と定めたことによって再び正式な休日となりました。毎年、この日には糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄戦没者追悼式が行われます。今年は、亡くなった翁長雄志前沖縄県知事の挨拶が印象的でした。

■沖縄にとって実質的な戦争終結は6月23日であり、本土とは事情が違う。

1945年4月1日にアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始された沖縄戦は、第32軍司令官牛島満太郎をはじめとする司令部が自決した日をもって組織的戦闘が終結したとされています。この自決に関しては6月22日説と6月23日説がありましたが、現在、沖縄県では6月23日説を採用しています。一方で、司令部が壊滅してもそれを知らされなかった兵士たちは抵抗を続けました、散発的な戦闘は司令部自決の後も続いていたのです。このため、慰霊の日を司令部の自決の日とすることに疑問の声もありました、沖縄市では慰霊の日を休日とする一方で、同年9月7日に降伏文書への調印が行われたことから、同日を「沖縄市民平和の日」と定めています。このように実際に戦闘が行われた地域では、終結に対する、それなりの思いがあり8月15日が終戦記念日とは言えないのです。

8月15日に終わらなかった戦闘、占守島での戦い

■スターリンの北海道侵略計画を阻止した歴史的な戦い

1945年8月15日、日本は降伏しました。第二次世界大戦は終戦を迎えたのです。しかし、1945年8月18日午前2時30分、突然、ソ連軍が占守島に上陸を開始したのです。日本軍はこれを迎え撃ち戦闘となりました。1945年2月の「ヤルタ会談」にてソ連が樺太、千島列島を占領することが決められていましたがソ連の指導者スターリンはアメリカとの冷戦に備え、北海道を占領しようとしていたのです。日本軍は8月15日の終戦をもって武装解除をしていましたが「自衛のための戦闘は許可する」との命令も受けていたため、上陸してきたソ連軍に速やかに反撃を開始したのです。

■この戦いがなければ日本は東西の陣営に分割支配され、国が分断されていた。

続々と上陸するソ連軍に追い詰められた日本軍は島の北部の要所「四嶺山」では全滅する部隊が出るなど窮地に陥ります。この状況を覆したのが『士魂部隊』と呼ばれた戦車第十一連隊でした。第十一連隊の指揮官、池田末男大佐は陸軍戦車学校では教官をしていたほど戦車戦に長けていました。池田大佐は出陣前に「赤穂浪士となって恥を忍び後世に仇を報ずるか、それとも白虎隊となり民族の防波堤として玉砕するか」と部下に尋ね、すべての部下が玉砕を選択します。戦闘は戦車部隊を投入した日本軍が巻き返し、ロシア軍を海辺まで押し返し、優勢にあった日本軍が降伏して終結します。この間、日本政府はマッカーサーを通して停戦を呼びかけましたがスターリンは黙殺し続けました。戦闘が終わったのは8月21日のことでした、この時に占守島でロシア軍を阻むことができず、北海道にロシア軍の侵攻を許していたならば、北海道は日本ではなくなっていたかもしれません。私たちは最後まで国の防衛のために戦った兵士を忘れてはなりません、終戦記念日の今日、8月15日以降も戦闘を行って国の為に倒れていった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 

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