谷川とむのレベルの低さを嘆くロバート・キャンベルが自身の同性愛をカミングアウト!

引用 TV-ranking.com

自民党の谷川とむ衆議院議員はネットテレビ「AbemaTV」の討論番組に出演、作家の乙武洋匡さんが同性婚や夫婦別姓を認めない政府に疑問を投げかけたのに対して、谷川議員は「多様性を認めないわけではないが、法律化する必要はない。『趣味』みたいなもので」と自身のLGBTに対する見解を述べました。自民党では2016年作成の党内啓発用のパンフレットで性的少数者について「本人の意思や趣味・嗜好の問題との誤解が広まっている。」と性的少数者に対する認識に関して注意を促していました。谷川議員は明らかに誤解しており、また、そのことを気にかける風でもありません。これに対して日本文学研究者のロバート・キャンベル氏は14日、自身が同性愛者だと明らかにしたうえで「政治家がこういうことを言うことに幻滅し、危惧も感じる」と批判しました。

政治家である前に「人として」何かが欠落しているのではないかと思われる

■「趣味」と発言した谷川議員のLGBTに対するいい加減な認識

政治家は市民の代表であり、市民の権利と安全を守るのが使命ではないのでしょうか、このところLGBTをめぐる一部政治家の発言は「LGBTの人たちにはプレゼンスがない」くらいの話をされているような気がしてなりません、このような発言を聞けば憤慨するのは当然です。谷川議員の場合にはLGBTを趣味だと言っているのです、これはあまりも性的少数者を馬鹿にした発言です。これに対してロバート・キャンベル氏は自身のブログで以下のように述べています。

「谷川衆議院議員が性的指向や性自認のことを「趣味みたいなもの」というのを聞いて笑ってしまった。習い事のように何かのきっかけで始めたたり、途中でやめたりできるもののように聞こえたから。当事者からすると、むしろ生を貫く芯みたいなものだと捉える人が多いに違いありません。言語に例えるとどうでしょう。母語と同じように特段意識はしなくても、他者との交流の中で自然と芽生え、育ち、人間としてのポテンシャルを深めてくれる資質の一つであると私自身は見ています。言葉と違うのは、外国語のように学習してまるで違う文化に身を投じることはできない、という点でしょうか」

さすがに日本文学研究者と言いたくなる適切な表現です。谷川議員はロバートさんのブログを見て、もう少し表現を勉強すべきではないでしょうか。

■LGBTは生産性が低いと投稿された杉田水脈議員も読んでください

先般「生産性」に関する雑誌投稿で問題になった杉田水脈議員に関してもロバートさんのブログは言及しています。彼は、単にLGBTに対して知識や認識のない政治家に対して非難をするだけではなく、そんな考え方でいることは将来的な危機を招くことになることも説いています。私たちが目を背けて見ないようにしてきた現実をロバートさんは実に的確に捉えています。

「同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーの人々をひっくるめて「生産性がない」ので「支援」に値しないとという別の議員が発した言葉も、お粗末すぎて遍論する気持ちも起きません。私は、日本社会に生きるのに、支援を必要とする意識を持って来ませんでした。でも最初から日本で日本人として生まれ、地域社会で生きようとする若者であったなら、どうだったのでしょうか。「男(女)の子らしくないぞ」と教室でいじめられ、社会に出れば愛する人の性が違うからといって就職に失敗し、いっしょに部屋を借りたり、ローンを組んで家を建てようものなら門前払いを食らってしまう人は、この国にごまんといます。」

だから、国の定めた法的支援が必要なのです。子供を作らないことの“生産性”の問題よりも性的少数者が社会的な経済活動に及ぼす影響度を見てもらいたいと思います。彼らの持つ能力が性的少数者が抱える問題で発揮できないことの方が生産性を落とすことになるのではないでしょうか。

日本人でもよく見えない、日本人だからこそ見ようとしない問題点

■さらにロバート氏は語る、根拠なき非難は社会にとってマイナス

今回のロバート氏のカミングアウトと一部政治家に対する意見は、LGBTの立場を正しく見てもらいたいとする氏の思いと、あまりにレベルの低い日本の政治家に対する警鐘があったのではないでしょうか。以下もロバート氏のブログの一部です

「杉田議員が「支援」と呼ぶものが何か、記事が曖昧で知りようはありませんが、税金の投入ないし減免であるなら、アメリカやカナダ・欧州などの例で分かるように十分に回収できます。同性婚を認めるからといって従来の家族の形に悪影響を及ぼしたり、社会を弱体化させたり、生れるべき子供の数まで減らす等というデータを見たことがありません。むしろゲイやトランスという人間の核心に関わる大切な側面を覆わせ続けることで、個々が社会との間に持つべき接点を希薄にさせ、文化にとっても、経済にとっても、未来に向かう大きな活力を削がせてしまうのはあまりにももったいないことではないでしょうか」

そうなのです、個人が本来あるべき姿で社会生活が送れなくなれば、生活に支障をきたし社会に影響を及ぼすようになるのです。そうなることが社会的なマイナスではなく、あくまで例外的なことと認識しているのが、先般からLGBTの問題を軽く見ている政治家の先生方なのです。

■日本人以上に「日本」のことを知るロバート氏に感謝

ロバート・キャンベル氏のブログの結びです。こういう人が日本にいてくれたことを感謝したいと思います。

「積極的に排除はしないが「触れてほしくない」が日本の常識で「美風」であるなら、改めるべき時期にきていると私は信じます。アンケートにLGBTが「周囲にいない」と答える日本人が多いのは、存在しない、ということではなく、安心して「いるよ」と言えない社会の仕組みに原因があります。ふつうに、「ここにいる」ことが言える社会になってほしいです。」

日本に住み、日本で生活する「すべての人々」が平和で安全な生活を営めるように、まずは、そのプレゼンスを認めることから始めるべきではないでしょうか。

 

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