昭和の名優が亡くなっていく、みんな金八か渡鬼しかしらないけれど赤木春江は昭和の大女優でした。

引用 オフィスのいり

赤木春江さんが29日午前5時7分、心不全のため東京都府中市の病院で死去されました、94歳でした。88歳のときに「ペコロスの母に会いに行く」に初主演し、82歳で映画初主演を果たした菅井きんさんの記録を抜いて「世界最高齢での映画初主演女優」としてギネスブックに世界記録として認定されるなど、晩年における活躍も注目を集めました。テレビではよく見られる女優さんでしたが、映画出演は1980年の「二百三高地」以来33年ぶりでした。同映画では第68回毎日映画コンクール主演女優賞を受賞し、孫に車椅子を押してもらい授賞式に出席していました。赤木さんは1940年のデビュー、映画黄金期の当時、赤木さんの映画への出演数は物凄い数でした。

さようなら校長先生

■校長か姑かのイメージ

私たちの世代が知る赤木さんは「金八先生」「渡る世間は鬼ばかり」の校長や姑のイメージですが、テレビの出演作を見ても、その仕事量は大変なものでした。赤木さんは満州の生まれ、1940年に松竹ニューフェースとして松竹に入社、戦争を挟んで1959年に森繁久彌さん主催の劇団に参加されました。舞台を中心に映画、ドラマと幅広い活躍をされました。1972年にNHKの朝ドラ「藍より青く」で主人公の母親役を演じて人気となりました。その後は日本中誰もが知っている「校長」と「姑」の役でお茶の間の人気者となりました。

■最後まで闘病生活を続けた

2007年に乳がんが見つかり、左胸を全摘出して回復しました。2011年には舞台を引退、体は元気だったが「ご迷惑をかけることが起こるかも分からない」との気遣いからでした。しかし、女優としては活動を続け2013年には映画「ペコロスの母に会いに行く」に出演、88歳と175日という年齢で初主演を成し遂げ、ギネス世界記録に認定されました。2015年に自宅で転倒し足を骨折しました、その後も女優復帰を目指して治療を続けていましたが、再び復帰することなく29日に逝去されました。

みんなが知っているからじゃなくて、親しみを感じるから

■「どこにでもいそう」でももう見ることはできない

赤木さんは「女優として様々な役を演じてきたが、殺人事件の犯人役だけは大嫌いで断わり続けてきた」と語っています。テレビでお見かけする赤木さんは“近所のおかあさん”を連想させるイメージで親しみ深いものがありました。ご本人も、そうした柔らかい役どころを好んでいらっしゃったのでしょう。渡る世間では「どこにでも居そうな」姑を名演され、赤木さんの姑が、すっかりイメージとして定着していました。そんな赤木さん、テレビでの最後の仕事も「渡る世間は鬼ばかり2013年SP」が遺作となってしまいました。

■昭和の大女優が逝去されました。

映画の黄金期に松竹に入社、森繁久彌や森光子とも親交の深かった赤木さん、足を骨折してからは要介護4の状態が続き、最晩年にはパーキンソン病も発症していました。府中市内の病院で心不全で亡くなりました、94歳の大往生でした。恐らくは70歳を超える世代の方々が赤木さんの銀幕時代を知る世代でしょう。私たち世代は金八先生の校長や渡る世間の姑としてしか赤木さんを知りませんが、女優としてすばらしい演技を披露してくれた赤木さんを知っていることには変わりありません。残念なことですが、またひとり『昭和の大女優』は逝ってしまいました。ご冥福をお祈りいたします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA