福富太郎の名前を知っていますか?では、キャバレーに行ったことは?東京で最後キャバレー「ハリウッド」が閉店。

引用 キャバレーハリウッド

BSテレビで放送される森繁久彌主演の「社長シリーズ」をご覧になったことがあるでしょうか?森繁さん演じる社長が時々、飲みに行くのが“キャバレー”、若い方のほとんどがキャバレーの業態をご存知ないはずです。というのは店舗がないからです、博多のグランドキャバレー「ミナミ」の閉店に関しては、本ブログでも書きましたが1993年に東京スカパラダイスオーケストラのショーを最後に幕を閉じました。キャバレーの格はショーの内容で決まるところがあったのです、庶民のキャバレーとして親しまれた「ハリウッド」もショーは行っていましたが、どちらかと言うとホステスがもてなす踊って飲める場所として人気を博しました。

キャバレーの代名詞として有名だった「ハリウッド」

■経営者はキャバレー太郎こと福富太郎氏

そのキャバレー「ハリウッド」最後の店舗“赤羽店”が閉店します。経営者は絵画収集家としても有名だった福富太郎氏です、福富氏は本年5月に87歳で亡くなられました。二本のキャバレーの歴史は福富氏とともにあったと言えます、福富氏の逝去とともにキャバレーの業態が消えていくのも歴史の流れなのかも知れません。福富氏はダンスホールや中華料理店に勤め、占領軍とのヤミ商売にも関係していたと言われます。五反田、渋谷、品川などのキャバレーで支配人を経験した後、1957年に26歳で独立、神田に「21人の大部屋女優の店」というキャバレーを開店します。1964年には銀座八丁目の工場跡地に「銀座ハリウッド」を開店し、マスコミから「キャバレー太郎」の異名で呼ばれました。

■キャバレーは飲んで踊れる社交場

福富氏はインタビューの中で「健全なお色気酒場として作ったんだけど、警察からは新聞が読める明るさが無けりゃ営業停止だと、うるさく言われていましたね」と全盛期の頃を振り返っていました。「風俗営業等の規制及び業務の適正化に関する法律」によりキャバレーは接待飲食等営業、1号営業に分類され「キャバレーその他施設を設けて客にダンスをさせ、かつ、客を接待して客に飲食させる営業」に当たります。難しい表現では良くわかりませんが、要はショーを見ながら、飲食、ホステスさんと会話、ダンスをするところと理解されます。

昭和から続く業態が平成の終わりに消えていく

■実際に行ってみないと、その雰囲気はわからない

キャバレーの格は、営業中に行われるショーの内容やダンスフロアのスペース、ホステスの数などによって決まっていました。前出の「グランド・キャバレー」ですと、当時の人気歌手がショーを行い、ホステスも100名以上が在籍していました。「ハリウッド」はそれほどの規模ではありませんでしたが、ショーあり、ダンスありの昔ながらのキャバレーとして営業を続けてきました。閉店を惜しむ客は「いろんな事を教えてもらいました」「こういう店が無くなるのは寂しい」と語っていました。よく“大人の社交場”などと言った表現が取られますが、その雰囲気は行ったことのある者にしかわからない世界観だと思います。確かに女性が接待し風俗に寄ったイメージがあることは確かですが、しかし、昔風にいう「お色気」程度のもので、ショーやダンスで楽しむことが出来る場だったのです。

■まだ、完全に消滅したわけではありません

最近ではスナック業態が再興の兆しを見せていると言います。カウンターだけの店舗に女将が1人といった店です、カウンターで男女を引き合わせて“婚活”の場として提供している店もあるようです。時代の流れの中で“果たす役割”を変えながらも飲酒業態は生き残っていきます。しかし、軍艦のような“キャバレー”は、その存在を消そうとしているのです、規模が大きく維持費がかかるため集客力が落ちればたたむしか方法はないのです。郷愁漂う「ハリウッド」赤羽店は閉店ですが、銀座には「白いバラ」があります。ある意味、この「白いバラ」こそが最後のキャバレーなのかもしれません、キャバレーと呼べる店舗があるうちに「ぜひ、一度!」キャバレーをお尋ねください。平成の終わりに昭和ロマンを感じられること請け合いです。

 

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