「一片の悔いもない」と思いたい。そう言いたかったに違いない稀勢の里、悔いばかりの最後にしてしまったのは誰か?

引用 毎日新聞

大相撲の第72代横綱稀勢の里が初場所の4日目の16日、現役を引退しました。同日の日本相撲協会理事会で年寄「荒磯」の襲名が承認されました。東京・両国国技館で記者会見した稀勢の里は「私の土俵人生、一片の悔いもありません。やりきった気持ち」と、17年間の現役生活を涙ながらに振り返りました。しかし、怪我の治りきらない状態での場所への出場を繰り返し、思うような取り組みができないままでの引退。“一片”の悔いもないと言ってはいますが「悔いばかり」の最後になったのではないでしょうか、横綱になって以降、怪我とともに険しい最後の道を全力疾走させられた稀勢の里の心中を思うと、彼の涙も当然に思えてきます。

ここで引退する必要があったのか

■相撲界への貢献は、これまでを見ればわかる

初場所に進退を賭けて臨んだ稀勢の里は初日から3日連敗と精彩を欠き、昨年秋場所千秋楽からは8連敗となりました。横綱として記録に残る不名誉な成績となり、引退を決断することになりました。横綱在位はわずか12場所で「ファンには本当に申し訳ない」と語りました。スポーツ紙各紙の1面には「引退」「ワースト」「8連敗」の大文字が踊っていました、しかし、最後になって何故そこまで叩かれなくてはならないのかわかりません。稀勢の里は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録で十両に昇進、2010年には白鳳の連勝記録を63連勝で止め、2017年の初場所で初優勝し日本人力士として19年ぶりに横綱に…彼の相撲を見て来た人は皆、涙しながら言います「横綱として、まだ、相撲をとらせてやりたかった」と。

■日本人横綱としての重圧

日本の国技でありながらモンゴル勢が幅を利かす相撲界、そこに日本人の横綱として登場した稀勢の里、可哀そうだったのはあまりにも“生真面目”な性格であったことです。人気力士として何年も1番の座を得続けたのも、その性格によるのかもしれません。ある解説者が言っていました「生真面目すぎたんです、いい意味でもう少し息が抜ける性格だったらやりようがあったのに」そうでしょうか、彼のまっすぐなところが皆に好かれたのです。そして、今回の引退に伴っての“悔い”を本当に知っているのは、その性格を理解するファンの方々なのです。2017年3月場所13日目に左胸筋断裂の大怪我を負って、無理を押しての再出場、そして優勝。以降は怪我が完治しないため途中休場・全休の繰り返しとなってしまいました。他のスポーツでは考えられない事態です。

力士のコンディションを優先した考え方をしてほしい

■相撲は怪我が前提の競技

相撲は防具も付けず激しいぶつかり合いを行うため、怪我を前提としたプロスポーツであると言っても過言ではありません。であるならば、痛めた程度に合わせた合理的な治療と回復期間を与えるのが本当ではないのでしょうか。それどころか、横綱審議委員会は今場所の前に“激励”決議を稀勢の里に伝え、どうあっても初場所に出て勝たなければ横綱の継続がないことを突きつけました。日本人力士からの横綱を熱望してきたはずの横審が自ら横綱を潰すような決議を行ったのです。日本相撲界の悪いところは、力士の最善よりも場所の盛り上げや慣習に対するへつらいが優先することです、稀勢の里に十分な休養を与えれば、もう一花咲かせる機会があったかもしれません。しかし、その時間を与えることができない日本の相撲界の現状とは、どう考えればよいのでしょうか。

■力士ファーストの時代が来るよう「がんばれ荒磯」

怪我を押して出場し、見事に優勝した稀勢の里の姿に涙した人は多いはずです。牛久の人たちはインタヴューに答えます「牛久出身って呼ばれるだけでうれしかった」「もう姿が見れなくなると思うと泣けてくる」マイクを向けられた牛久の人々は一様に涙をにじませていました。それだけ稀勢の里が愛されていたということでしょう。もしかしたら、体調が万全でも今場所で引退の運命だったかも知れません、それはいいのです、少なくても本人の相撲人生と応援してきたファンの為に「自分の相撲」を取って最後としてもらいたかったのです。相撲も他のスポーツと同じように、怪我をすれば完治させて万全の状態で取り組みができるような、そんな制度を作ってもたいものです。いや、荒磯親方がそんな制度を作ってくれるでしょう。

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