フジテレビ「ノンストップ」で取り上げられた“合葬墓”は無縁墓ではありませんので、お間違いなく!

引用 山本石材

今日、午前中はフジテレビ系「ノンストップ」で取り上げられた合葬墓が注目されていました。気になったのがツイッターに「昔からの言葉に言い換えると『無縁墓』でないの?」と投稿がありましたが、合葬墓は無縁墓とは異なります。将来的に面倒を見る人がいないので合葬を選ぶということで無縁とするならば、それは間違いです。無縁墓の定義は、もともと身元知れずの人を葬った墓か、通常の墓として使われていて墓を継ぐ親族がいなくなり無縁の墓になったかのいづれかの場合を無縁墓と定義するのだと思います。後者の場合には官報に継承者がいないか掲載したり、墓の近くに立て看板を立てて告知するなど、法的な取り決めによる段取りを踏まなければ「無縁墓」とすることはできません。

お墓は単なる骨の収容スペースではありません

■宗教の延長線上にお墓はある

今日のノンストップでは「少子高齢化だし自分もこれでいい」とする声が多数とされていましたが、単に自分の骨の始末をどうするかしか考えていない答えです。葬式仏教という言葉を聞いたことがあるでしょうか?日本人の信仰する仏教は、宗教としての仏教徒ではなく葬式を上げるための仏教だと、日本人と宗教の在り方を揶揄した言葉です。お墓の話をする前に自分が何宗であるのかを知らない人も多いのではないでしょうか。中には「家は無宗教」と言い人までいます。しかし、日本人の90%以上は仏教徒であり、どこかの宗派に属しているはずなのです。

■仏教徒なのに、仏教を知らない。

お墓の話の前に、仏教の話をしましょう。先に申し上げたのは、江戸時代には寺を中心に地域の住民を把握する施策が採られていたため、無宿人やバテレンを除けばみな仏教徒だったのです。現在の檀家制度が出来上がったのは江戸時代に住民を管理するために、寺を窓口として使ったことに起因しています。元々はころびバテレンを寺に請けさせる、寺請けの制度が檀家制度の元だっとも言われています。江戸幕府は住民を管理し従わせるために寺院を利用したのです、この為、寺院には金銭や労役が集まるようなシステムが出来上がり、本来的な仏教の姿が失われ寺が力を持ち、住民を支配するような構図が出来上がっていきました。こうした過程の中で腐敗した寺院も出て来て、明治時代の廃仏毀釈という仏教排斥運動に発展していくのです。

日常的な思いの向こう側に供養がある

■形ではなく故人を想うこと

明治時代に神道国教化政策により仏教は排斥されたものの、現在も7万を超える寺院が残っており国民のほとんどは“仏教徒”なのです。その理由は、説明したように江戸時代には政策として仏教徒でなくてはならず、必ずどこかの寺の檀家であったということです。日本人の仏教は宗教としての「教え」ではなく制度的なものとしての色が強いのです、このため「葬式仏教」などと呼ばれるのです。墓と言うのは霊を祀る場所であり、宗教的な意味合いの強い場所です。単に経済的なことや継承者の手間などから選ばれるべきではありません。実際に海洋散骨をした遺族の方が通常のお墓を買うことが多いと聞いたことがあります、「海に供養に行っても、どこに居るんだか、帰ってもモヤモヤ感が残るんで、自分はお墓を買うことにした」そうなのです。口では宗教的なことはどうでもいいと思ってはいても、日本人として染みついた仏教的な教えが「モヤモヤ」させるのです。

■形は変わっても、供養の気持ちは変わらない

合葬墓は無縁墓ではありません。個別にお墓を作る経済的な負担と後継者の手間を考えた「みんなのお墓」なのです。個別に骨を入れるわけではなく、いっしょになってしまうために一旦収めてしまうと取り返しはききません。従来のお墓は「個別」に供養することにこだわりを持っていました、それは仏教的な教えから残された遺族が“徳”を積み先祖供養するためであったと言えます。しかし、お墓として使用できる土地も少なくなり、墓を作っても後継者がいなくて維持が難しい時代になってきました。これからは従来の戸建て墓地ではなく集合住宅型の合葬墓地が主流になっていくのかもしれません。お墓は合葬になっても供養する気持ちだけは変わらずに持ち続けたいものです。

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