朝霞監禁事件に判決!一審判決を破棄、懲役12年。果たして、失われた少女の2年は12年で償われるのか?

引用サンケイ新聞

埼玉県朝霞市で2014年、当時中学1年だった少女を誘拐し2年間自宅に監禁したとして未成年者誘拐などの罪に問われた寺内樺風被告(26)の控訴審判決で、東京高裁は20日、懲役9年とした1審判決を破棄し、懲役12年を言い渡しました。控訴審で、弁護側は完全責任能力を認めた1審判決は誤りで、量刑が重すぎると主張していました。また、1審で懲役15年を求刑していた検察側は「犯行の悪質性を正しく評価しておらず、軽すぎる」としていました。多感な中学生時代のほとんどを“監禁生活”で奪われた少女への償いは12年という量刑で良いのでしょうか?

寺内被告は冷静に振舞っており刑事責任能力はあった

■千葉のアパートでは誰も気付かなかった

寺内被告が14年3月から少女を監禁していたのは、千葉市内にある築30年超のアパートでした。部屋は2間あり、寺内と少女が別で使う形になっていました、外壁は何度も塗りなおされており、むき出しの配管も錆びて朽ちていました。家賃は3万円、築年数が古いため大学から至近でありながら住民も留学生がほとんどで、空室も目立つ状況でした。室内はカビ臭く、洗面所や風呂も薄汚れており、若い女性が暮らす環境ではありませんでした。隣室の留学生は悲鳴や物音は聞いたことがなく、被害少女の存在にはまったく気が付かなかったと言います。

■友人も変化はなかったと証言

彼の学生時代の友人からも、監禁を行っていた時期に寺内被告に不審な行動があったとの証言はありませんでした。「自宅の場所も知っていましたが、まさかあんな学校の目の前のアパートで、監禁生活を送っていたなんて。寺内を間近で見ていても、中学生を自宅に閉じ込めているような様子は、微塵も感じれませんでした。」「部屋に監視カメラを置いているのではないかという報道もあったけど、ゼミの合宿中も、過剰にパソコンやスマホを気にしている様子はなく、無理があると思います。」このように、有人の学生らは寺内に何ら変化があったとは語っていません。これは逆に、少女を自分の支配下においているという自信がそうさせていたのかもしれません。

監禁は殺人より罪が軽いなどと、どうして言えるのか?

■被害者家族にとって15年など、軽すぎるに決まっている。

寺内被告は14年3月、当時13歳の少女に「(少女の)両親が離婚することになり、その話をしたい」などと嘘をつき、朝霞市の少女宅付近で少女を車に乗せて誘拐、以降も「(少女の)父は自分に借金があり、そのために(少女を)預かっている」「(少女は)家族から捨てられた」などと、繰り返し“自分に従う”よう都合の良い話をしていました。こうした、虚偽の発言と束縛された日常による重度の心的外傷からPTSDを少女は負いました。犯行に対して寺内被告側弁護士は「刑事責任能力」が無いと主張し、17年に出た懲役9年の判決(求刑15年)に対し「重すぎる」として控訴したのです、また、被害者側は逆に「軽すぎる」として控訴しました。思春期の2年を奪った被告に与えられた量刑は…。

■12年とかではなく、一生刑務所に入れておくべき

そして今日、寺内被告に対し懲役12年の判決が言い渡されました。1審の9年よりもさらに重い量刑となりました。寺内被告側としては「重すぎる」結果なのでしょうが、被害者家族としては、これが15年であっても足りない量刑のはずです。刑務所に入っても模範囚であれば、刑期が短縮されて出所することも考えられます。被害者側は寺内被告が同じ世界の空気を吸う事さえ嫌気しているのに、12年なのです。殺人は被害者の残された時間を奪うこと、だから罪が重いのです。他人の時間を自分の勝手で「奪う」ことは大きな罪なのです、取り返すことが出来ない時間に対する償いを「法」で裁くことが本当に可能なのでしょうか?被害に遭った少女は、これからの人生も『監禁』の記憶とともに送らなくてはならないのです。本来なら、中学・高校・大学と進学し就職、そして結婚と普通の人生を過ごすはずだった13歳の少女が、自分勝手な人間の行動によって将来の希望を奪われてしまったのです。過去の時間だけではなく、将来の時間にも影響を与えているのです。ある意味では殺人よりも罪深い行為と言えます、死刑とは言いませんが被害者と別の空間で生きてもらいたいので「終身刑」として、一生を刑務所で過ごしていただきたい。そう思います。

 

 

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