小倉の駅前の灯が消えていく、これで4度目の百貨店の撤退「コレット」本日で閉店!

引用 りくまろぐ

JR小倉駅(北九州市小倉北区)前の好立地にありながら、人口減少や高齢化で売り上げが減り、小倉そごう、小倉玉屋、小倉伊勢丹に続き4度目の「百貨店閉店」となった「コレット」。11年の歴史を今日2月28日(木)で閉じることになります。北九州市を地盤とする百貨店「井筒屋」がJR小倉駅前の商業ビルに出店する「コレット」は本日で営業最終日を迎え、午前9時ごろから「最後の買い物」をしようと1000人以上が列を作りました。

地方百貨店の終焉か?駅前でも不振の百貨店

■昨年夏に徹底を表明していた井筒屋

午前10時の開店のアナウンスと共に、買い物客が次々と店内に入っていきました。小倉北区の主婦は「歩くだけで気分が盛り上がる場所。なくなるのは本当に寂しい」と閉店を惜しみました。小倉伊勢丹から営業を引き継いだコレットは2008年4月に開店、14階建てのビルのうち地下1階~地上6階までの7フロアで営業を行いましたが、売り上げが不振で井筒屋が昨年7月に閉店を発表していました。現在営業する約150店舗のうち約3割が残留を希望しています。「無印良品」や「ロフト」などの主要テナントは3月1日以降も従来通り営業を行います。ビル管理会社は、1年かけて新規テナントを誘致し、専門店ビルとする方針です。

■井筒屋は4店舗を閉店

昨年7月に「コレット」からの撤退を発表した際、井筒屋は黒崎店、宇部店、飯塚サロンの3店舗も合わせ4店舗の閉店を発表していました。最盛期には北九州市を中心に10店舗まで規模を拡大しましたが、これで本店と山口店を残すだけになってしまいました。このところ地方百貨店が業績不振から閉店する事例が増えています、名古屋の丸栄、山形の大沼など地元では名の知れた百貨店が相次いで閉店に追い込まれています。井筒屋の店舗があった各地域では井筒屋の店舗は「集客の核」と位置づけられてきました。「コレット」も小倉駅前の好立地であり、地元経済界からの期待もありました。

施設の問題ではなく、地域間の格差が影響している

■どこがやっても同じ結果、営業主体の問題ではない

「コレット」が入居する建物はもともと1993年に小倉そごうとして開業したビルで、ペデストリアンデッキで小倉駅に直結しています。しかし小倉そごうは、経営不振から2000年に閉店しました。2002年には九州の地元百貨店である玉屋が出店しましたが、わずか9カ月半で徹底しました。2004年には井筒屋も出資した小倉伊勢丹として再開業しますが、これもわずか4年ほどで閉店に追い込まれました。それをコレットとして、2008年から井筒屋が引き継いだのです。もともと井筒屋にはコレットから数百メートルのところに、本店があるにもかかわらずの出店でした。この判断には、小倉駅前のにぎわいを失いたくない地元経済界の後押しや期待が大きく働いていました。しかし、小倉駅前の集客力自体が弱まっていたのです。

■「百貨店」の業態自体が時代から取り残されている

小倉駅前が集客力を失ってきたというよりかは、新幹線で15分の博多駅が魅力を増したことによる買い物客の減少と考えられます。また、「コレット」自体が数百メートル先の井筒屋と明確な違いを打ち出すことができていなかったことも「百貨店離れ」が進む中で、集客力を持てなかった一因かも知れません。人口減少が進む北九市において、魅力ある商業集積が持てないことが、小倉駅前の賑わいを失っているのです。しかし“業態の衰退”がこうした状況に拍車をかけていることは間違いありません。「百貨店」を支えてきたのは店舗の販売だけではなく、『外商』という百貨店独自のシステムがあったのです。得意先には外商の社員が「御用聞き」に伺い高額商品の受注や中元・歳暮の取り纏めを行っていたのです。近年では、『外商』のシステムが稼働しなくなって来ているのです、わざわざ家まで来ることへの差別化や百貨店独自の商品に価値が感じられなくなってしまったのです。九州においては景気の後退から外商を使うような需要層が大きく減ってきています。「コレット」の撤退は、駅前からの大型店舗の撤退という事だけではなく地域経済の地盤沈下を表す現象と言えます。

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