
引用 サンケイ
元吉元新喜劇の往年のマドンナで、退団後は女優として活躍した山田スミ子さんが2月21日に直腸がんのために亡くなっていたことが5日、分かりました。山田さんは兵庫県出身の73歳、子役として宝塚映画製作所などで活躍し、1968年4月に新喜劇に入団しました。山田さんは花紀京さんや岡八郎さんのマドンナ役を務め、短期公演では座長を務めたこともありました。「あかんて言うてんのが分からへんのか~!」などと絶叫するキレ芸で爆笑を取りました。
土曜と言えば「新喜劇」の子供時代
■それほど「面白い」とは思っていなかった
私は九州出身のため、小学校低学年の頃は毎週、新喜劇を見ていました。当時、小学校は土曜日が半ドンで学校から帰ると「新喜劇」をやっていたのです。関西弁でまくしたてるオッサンやオバサン、見ていてさほど面白いものではありませんでしたが、他にみるべきものもなく、なんとなく見ていました。当時は、岡八郎さんが人気で相手役は亡くなった山田さんでした。言葉も違えば、あまりに激しい口調でセリフを交わす新喜劇はインパクトはありましたが「面白い」ものではありませんでした。それから数年が経過し、中学生になった頃からでしょうか、「面白さ」がわかるようになってきたのは。
山田スミ子さん死去 吉本新喜劇でヒロイン役 https://t.co/ur5r2z0IDb
— 大阪ニュース (@Osaka_headlines) 2019年3月5日
■吉本は関西の笑いから“全国区”へ
同時期、ドリフターズが全盛期でした。かれらの全国放送的な“笑い”に対して新喜劇は“大阪の笑い”としてのイメージが強かった感があります。当時は大阪出身の関西弁を話す芸人が、全国区では見られない時代でした。山田さんは新喜劇退団後はNHKの朝ドラ「カーネーション」や「家政婦は見た!」などのドラマや映画、舞台に個性的な脇役として出演しました。大阪の新喜劇で育ち、関西弁の女優として全国区になったのです、かつて関西の特異な芸人集団だった吉本も、今では全国で名前を知られる大きな会社となってしまい、かつての新喜劇を背負って立ったような名物俳優は出て来なくなりました。
筋金入りの関西の俳優、山田スミ子
■周囲には闘病を語らず
山田さんの関係者によると、十数年前から母親の介護と女優業を両立していましたが、2017年に母親が亡くなった後、自身も体調を崩し、直腸がんの診断を受けていました。しかし山田さんは、親しい友人らに「心配はかけたくない」と病気に関しては打ち明けることはなく、舞台に立ち続けていましたが、今年に入って悪化していました。同じ新喜劇で活躍したタレントの間寛平さんは「新喜劇でお世話になっていた山田スミ姉さんがなくなっていたと知り、めちゃショックです」とその死を悼みました。既に全国で名前を知られるようになった吉元出身の芸人のほとんどは、山田さんの後輩となるのです。
あっちこっち丁稚のおスミさんが叫んだら、赤フンの木村明が飛び出して来るんだよなぁ😂土曜のお昼に憩の一時を有難うございました🙏
山田スミ子さんが死去、吉本新喜劇往年のマドンナ https://t.co/639odHoCMh
— Mio6034 (@mio6034) 2019年3月6日
■新喜劇の世界観をもっと広めてもらいたい
新喜劇で演じられるテンポの良い演目は、強い個性を持った俳優でなければ演じることはできません。かつてブラウン管のテレビから「こら~!」と絶叫していた山田スミ子さんの姿が偲ばれます。小学校低学年のころの、半ドンと新喜劇の思い出は消えることはありません。関東では“笑点”が永いこと放送されていますが、新喜劇も毎週、どこかの局でやってもらえたらと思います。もし可能なら、これまでの傑作選として岡八郎さんや山田スミ子さんが全盛のころのものを見てみたいものです。まあ、こうしたことを考えてしまうのも昭和世代の“わがまま”なのかもしれません。私たちに腹の底から笑えるようなキャラクターを提供してくれた山田スミ子さんに感謝するとともに、その死を悼みます。