
引用 共同通信
先月の16日、故高倉健さんの命日でした。そんな高倉さんの晩年のエピソードで忘れられないのが「水を運ぶ少年」と呼ばれた宮城県気仙沼市の松本魁翔さんとのものです。東北大震災後、瓦礫の中を口を固く結んで4リットルのペットボトルに入れた水を運ぶ姿が撮影され、そのいたいけな姿に全国から応援の手紙が寄せられ、高倉健さんも「負けないで!」と声援の手紙を綴りました。東日本大震災発生時から8年、松本さんも18歳となり高校を卒業しました。この春からは理学療法士となるために専門学校に通います。
水くみは朝、昼、晩と一日の3度
■当時はとにかく小さかった
震災直後に撮影された松本さんの身長は130㎝「とにかく、ちっちゃかった」と母のいつかさんは振り返ります。そんな少年も8年が経って、身長168㎝となり体つきも立派な大人になりました。震災当時は長めの髪に借りもののピンクの長靴で「お姉ちゃん、頑張るね」とよく間違われる度に「俺、男です」と返答していました。8年前、家は流され船の下敷きになり、親類宅に非難しました。町は断水が続いていたため、歩いて15分の井戸に通い水を汲んで家族に届けるのが魁翔君の日課でした。朝、昼、晩、3回の水くみは1ヵ月も続きました。瓦礫の中、両手に大きなペットボトルを提げて水を運ぶ姿が通信社のカメラマンに撮影され、世界に配信されたのです。
「水をくむ少年」
災害時に水を汲んでいる人たちをみるたびに思い出す写真があります。
東日本大震災のときの有名な1枚。
この写真をみると、少年が健気で切なくなります。 pic.twitter.com/IRWcDUYJCr— 花園太郎アシカビヒコ (@ashikabihiko) 2018年9月26日
■頑張った8年間
全国から励ましの便りが寄せられ「拝啓 初めてお手紙を書かせていただきます。映画俳優の高倉健と申します」と高倉さんからの手紙も届きました。高倉さんは「被災地を忘れないことを心に刻もうと映画の台本に写真を貼って毎日撮影にのぞんでいました」と書いており、遺作となった「あなたへ」(12年8月公開)の台本に新聞から切り取った魁翔君の写真を貼っていたことを明かしました。全国から寄せられた手紙は魁翔君の宝物となりました「心が折れそうになったとき、励みというか力になって、上を向いて歩いていこうという気持ちになれます」。小1から道場に通った防具付き空手では中3のとき、全国優勝しました。高校に入って始めたバスケットボールは高2のとき、全国高校選手権に出場しました。ポジションは司令塔のポイントガードでした。
忘れてほしくない記憶がある
■応援してくれた人の気持ちは皆いっしょ
幾多の出来事があった8年間でしたが、魁翔君にとっては「あっという間」の8年間でした。小学4年だった「水を運ぶ少年」は今月、高校を卒業しました。4月から理学療法士になるため、仙台の専門学校に通います。「震災の時、足の不自由な人や年寄りの人が非難できなかったと聞いたので、そういう人を少しでも動けるようにしたいと思います。」全国からよせられた手紙も持っていきます、くじけそうになったら、また読み直すつもりです。高倉さんの手紙には「思いついたら、手紙をください。遠くからですが、貴方の成長を見守っています。負けないで」と書かれていました。当時「気仙沼を復興させていつか招待します」と返事を書きました。高倉さんを招待することはかなわなくなりましたが、復興を支えていこうとする松本さんの姿は高倉さんに届いていることでしょう。
#1日1タイガ
東日本大震災8年
あの混乱の中、日本中の誰もが「自分に何かできないものか」と思ったはず
被災し、給水車から水をくむ手伝いをし、楽天の日本一を見て、野球が誰かの力になると感じた少年は、今プロ野球選手に!
感慨深いです pic.twitter.com/kbdP8OGgEQ— おおよう (@taiga1306) 2019年3月8日
■忘れないことが一番の支え
人はいろんなことを忘れます。大震災、豪雨、原発事故、近くにいて被害に遭った人々だけは、どんなに時間が経ってもその記憶から逃れることはできません。高倉健さんの作品を見るにつけ「不器用な人」との印象を受けてしまいます、そんな「不器用な人」は自分が人の記憶に残ることよりも、震災に遭った人たちの記憶を忘れまいと『水を運ぶ少年』の写真を台本に貼りました。そんな高倉さんが忘れられません、東北大震災も高倉さんも忘れられない記憶なのです。すぐに3・11を迎えます、報道番組では8年経った被災地を取材し、復興が進んだことをアピールするでしょう。しかし、今もなお、生まれ育った街に帰ることができず、遠くの空から故郷を想う人々がいるのです。いろんなことを覚えている必要はないと思います、大変な災害に遭って立ち直ろうとする人々がいること、東北に熊本、北部九州に、そして広島・岡山に「忘れない」ことが『何よりの支援』なのです。