平成、ひとつの時代に幕が下りる時、いっしょに連れていくのかもしれない…萩原健一、北尾、白石冬美。

引用 サンケイ

あと数日で“平成”の時代が終わります。その幕引きに合わせたように各界の著名人が去って行きます。樹木希林さんの後を追うように逝った内田裕也さん、そして日本のグループサウンズの草分けであり俳優としても独自の立ち位置を築いた萩原健一さん、2m近い体躯を活かして横綱まで駆け上がり、あっという間に角界を去って格闘技に身を転じた北尾光司さん、そして私たちの世代には忘れられないアニメ「巨人の星」の明子を演じた白石冬美さん、平成が終わろうとするここ数日で、多くの著名人が逝ってしまいました。何かに呼び寄せられるのでしょうか、後2日、これ以上、寂しい思いはしたくありません。

昭和から平成へ、活躍した人たちが去っていく

■「前略おふくろ様」の萩原健一が最高

これまで見たテレビドラマで何が一番好きかと問われれば、迷うことなく「前略おふくろ様」と答えます。このドラマは「北の国から」で倉本聰の名前が全国区になる前に原案と脚本を手掛けた作品です。地方から板前の修業で上京した若者の日常をたんたんと描くのですが、朴訥な青年の役を萩原健一が演じ、なんとも言えない世界感を創り上げていました。共演は梅宮辰夫、田中絹代、寺田農、大滝秀治、川谷拓三、室田日出夫、小松政夫、坂口良子、桃井かおり、丘みつこ、今、思えば何とも豪華なキャストでした。はにかみながらしゃべる萩原健一の演技がなんとも素敵な作品でした。

■コンビーフは生でかじるものだと思っていた

萩原健一と言えば「傷だらけの天使」を語らないわけにはいきません、日本テレビ系列で1974年10月から土曜夜22:00~の枠で放送されました。当時、小学生だったためオンエアをライブ視聴することはできませんでした。その後、何度か再放送された際に見た記憶があります。誰もが一度は真似をしたと思われるオープニングシーン、寝起きに朝食を摂る場面です。競泳用のゴーグルを外し、牛乳瓶の蓋を口で開け、生でコンビーフを食べる。このシーンが頭に焼き付いて離れなかったため、コンビーフは缶を開けたら、そのままかじるものだと思い込んでいました。私たちが子供の頃、萩原健一は『カッコイイ、兄貴』だったのです。

この時代じゃなきゃ見られない人たちがいた

■相撲から格闘技へ

北尾氏に関しては「不良」のイメージが強かった思い出があります。せっかく横綱になったのに部屋を脱走して、角界を去って格闘技の世界に入ることになってしまいます。電撃的な廃業から約2年後、1990年2月に東京ドームで新日本プロレスのレスラーとしてデビューします。しかし、単調な試合スタイルや傲慢な態度からプロレスファンからは敬遠され、所属団体も転々とします。94年には自身で格闘技塾「北尾道場」を旗揚げし、道場生と共に天龍源一郎率いるWARを主戦場にしました。プロレス引退後は、日本相撲協会所属ではないフリーの立場で、代替わりした第7代立浪部屋のアドバイザーに就任しました。これ以降、自身の現役時代の行動を悔いる発言を行い、段々と表舞台に姿を見せなくなり3月29日に慢性腎不全の為に2月10日に死去していたことが公表されました。彼もまた昭和から平成を駆け抜けた時代の人でした。

■「ねえちゃん」はこの人、白石冬美の当たり役

『思いこんだら、試練の道を行くが男の ど根性

真っ赤にもえる 王者のしるし 巨人の星を つかむまで』引用:行け!行け!飛雄馬

このテーマをバックに主人公の星飛雄馬がウサギ飛びをする姿を木の陰から見ているのが姉・星明子なのです。「ねえちゃん」まさに、その言葉に代表されるキャラクターではありました。その声を演じた白石冬美さんは82歳で逝かれました。とにかく、物凄い数のアニメに出演しているのですが、「ねえちゃん」が耳に残って離れません。今ではウサギ飛びなんて原始的なトレーニングを見かけることもなく、スパルタ式の特訓を遠くから見守る優しい姉さんもいません。まさに昭和を代表するキャラだったのです、明子姉さんのご冥福をお祈りいたします。

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