大島渚が話題ですが、この大島渚はバンドで映画監督の大島渚氏のことではありません。 詳しくは「氣志團万博2019」をご参照ください。

引用 サンケイ

9月14、15日に千葉県・袖ヶ浦海浜公園で行われる氣志團主催の野外ライブイベント「氣志團万博2019」の出演アーティストの第一弾が発表されました。今回の発表では純烈、東京スカパラダイスオーケストラ、HEY--SMITH、大島渚、ゴールデンボンバー、ももいろクローバーZの出演が明らかにされました。『大島渚』は漫画家のみゆらじゅんと喜国雅彦を中心に結成されたロックバンドで、結成されたのは30年近く前という若者は誰も知らない“本物の幻のバンド”が復活を果たします。

大島渚って、あのロックバンド?

■大島渚は映画監督ではなく、バンド名

そもそも、ネット上で「大島渚」の名前を発見した際には、監督大島渚の作品が再評価され、彼の名前が浮上してきたのか!と思ってしまいましたが、なんと漫画家のみゆらじゅんささんと、喜国雅彦さんを中心に結成された懐かしのバンドだったのですね。1989年6月24日にTBSテレビの深夜番組「三宅裕司のいかすバンド天国」に初出場、その後同番組の「輝く!日本イカ天大賞」にも出演を果たしました。自称・税金対策バンドで代表曲に「カルフォルニアの青いバカ」があり、イカ天の審査員から「題名がいい」などと称賛されました。既に忘れ去られた“イカ天”ですが、当時はそれなりのステータスがあり、同番組でバンドとして評価を受けるとうのは、なかなかのものだったのです。

■大島渚をリスペクトしたみうらじゅんが30年近く前に結成

バンド名は同名の映画監督である大島渚が大声で諸事を罵倒する姿こそロックだ!というみうらじゅんさんの発言に由来しているそうです。ご本人の許可はとっていませんでしたが、イカ天に出演していた大島監督に「カルフォルニアの青いバカをぜひ、歌ってほしい」とファックスを送ったところ大島監督は快諾し「うちの息子はバンドの方の“大島渚”のファンなんだな」と発言していました。ここまでで、大島渚が映画監督の大島渚の名前からバンド名を付けて、監督のファンキーな部分をリスペクトしていたことは、理解いただけたと思います。

大島渚の生き方が「ロックンロール」だったのです

■綾小路少年は全盛時の大島渚を見たのか?

理解が難しいのが、何故、氣志團が“大島渚”を招聘したのかということです。漫画家のみうらじゅんさんは1958年生まれの61歳、かたや氣志團のメインボーカル・綾小路翔は1976年生まれの42歳、綾小路少年が中学生に成りたてのころ、みうらじゅんさんはイカ天で大島渚としてバンドデビューするのです。まあ、この頃、独特のスタイルに大きな影響を受けたというのなら、そうかも知れません。先日、お亡くなりになられた内田裕也先生は「ロックンロール」を口にすることで、ロック爺のポジションを確立されたお方でしたが、みうらさんの場合は、その生き方・言動が“ロック”な感じがするのです。まあ、いろんな色を取り交ぜて行われる「氣志團万博」は、他の野外フェスと異なり、独自の盛り上がりがあって期待できます。

■映画監督、大島渚とは誰

ところで、最後に監督・大島渚を紹介しておかないといけない気がするのですが。大島渚監督は京都大学を卒業後1954年に松竹に入社、野村芳太郎監督などの元で助監督を務めました。1960年に「青春残酷物語」や「太陽の墓場」を監督、ヒットを飛ばし松竹のヌーヴェルヴァーグの旗手と呼ばれるようになります。その後、松竹を「日本の夜と霧」上映打ち切り問題で退社、仲間と「創造社」を立ち上げ、多くの作品を作りました。1975年には新たに「大島渚プロダクション」を創立、1976年には安倍定事件を題材にした衝撃的な作品「愛のコリーダ」を発表し、国際的に注目を集めました。そして、多くの人が知る彼の監督作品は1983年にビートたけし、坂本龍一、デヴィッド・ボウイなど異色のキャスティングが話題となった「戦場のメリークリスマス」でしょう。こうして彼の業績を振り返ると昭和の名監督的なオーラが見えますが、映画以外で彼の行動は破天荒であり、作家の野坂昭如氏との乱闘事件は有名です。クリエーターとして長けた能力を持ちながら、私生活では荒ぶる大島渚にみうらじゅんさんは“ロック魂”を感じたのです。できたら「愛のコリーダ」を見てください、背景は昭和初期ですが人間ドラマは「ロック」ですよ。

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